小さな子とサッカーをやると、ボールを止めたい時などに手を使います。サッカーが不慣れな子がサッカーをやればドリブルのタイミングで手を使います。
こんな時どうしましょうか?
この現象はいろいろな視点で捉えることができると思います。
ルールという視点、発育と発達という視点、ルールに近いですが公平性という視点、技術や判断という視点、捉え方はいろいろですね。
その環境が何を軸にしているのか、というクラブフィロソフィーも影響してくると思います。
ティエラは長い人生を生きる力を付けてもらうため発育発達を優先しています。
ボールが転がり、止めたい!と思うから手で止める。これは発育発達の視点であれば正解です。ゴールを目指したいからボールを手で持つ、これも正解です。
サッカーのルールという視点であればハンドというファールになります。
ルールを優先すると、やりたいことが実現できなくなります。これは結果を知る機会を失うことを意味します。
相手の横を駆け抜けて追いかけられる、またはゴールに近づく、というどこかワクワクするような体験機会です。
ルールを守ってこの機会を失うくらいなら手を使ったほうが良いです。
足だけでこれをやるためには能力が必要です。技術であったり判断力であったり知識であったり、いろいろ身につけなければなりません。
しかし、もともと”動機”がなければそれらを自分で高めることはできません。目的ですね。
その体験を渇望すれば自らやるでしょう。これはサッカーでなくてもなんでも良いです。
何かをやろうとして、やってみた結果を得て、そこから脳や身体が発育発達すれば実現できることも増えていきます。
これを逆にしてしまえば、脳や身体の発育発達の必要性もなくなります。説明は割愛しますがルールにやらされている状態です。
外は外、ウチはウチ。ティエラは育成します。