皆さんは、過去、今、未来、これらの時間軸をどのように定義しますか?
今は簡単ですね。これは経済であり消費活動です。何かを食べたい、何かが欲しい、何かをしたい、という要求に対してそれを満たす、または物や事に対価を支払うのが経済です。これは大人が無意識でもやっていることです。
過去も簡単です。今の積み重ねですね。今しているものが過去になるわけです。
それでは未来は?ここはすごく難しいです。今の積み重ねが過去であるのはわかりやすいですが、「今の先」というのはどういうことになるでしょうか。
今、経済活動をしているのであれば未来も同じです。要するに現状と何も変わらず今を生き続けることになると思います。
このような場合、唯一存在するのは過去です。そうすると比較的、過去を大切にすることになってくると思います。というよりそれに縋らないと自分という存在が消し飛びます。このような場合は、すでに今が未来わけですから未来は今です。今が未来となるわけですから未来というものはないのかもしれません。
これはサッカーの育成においても同じです。
今を消費して生きている場合、今が未来です。例えば、J下部にいるとか日本代表クラスであれば未来もそうかもしれません。しかし、今がそうではないのであれば、そうなることはないと思います。なぜなら、努力し成長するのは自分だけではないからです。今を生きている場合、皆同じなので今がそのまま未来になると思います。
それでは、未来の可能性はどこにあるのか?
それは今ではないところに存在しています。少し難しいですが、言い換えると、経済ではないところ、欲しいものではないところ、ということもできます。一般的な表現にすると文化ということができると思います。サッカーでいうとストリートサッカーですね。
何かを欲して行っているわけではなく、自分が主体的に求めているものになります。よく、何かの結果に対して対価を与えることは育成上よくない、と言われますがこれも同じです。お金のため、という今、経済ではなく、自分がやりたい!という主体的、文化的な動機であることが重要です。
サッカーの育成事業と収益化がとても相性が良くないことがわかると思います。収益化するためには今を売らないといけません。しかし今を売ると未来がなくなります。収益化のポイントは今を何に設定するのか?ということです。1番しっくりくるのは場所代ですね。グランドを今使用しているからお金を払う、というのが1番綺麗だと思います。
指導者は教える、という今を提供するわけではないので、寄付をいただく程度が適切だろうと思います。年代が上がり、ユースくらいになると指導対象が今に対するものになってくるので対価が発生しても違和感はないかもしれません。逆に選手にプレーをしてもらうと捉えると今を消費する側はチームになるので選手に対価を支払う必要もあるかもしれません。
チームがスカウトをして選手が高い月謝を払って更にハラスメントを受けるという構図はかなり違和感があります。なんだこれは?めちゃくちゃですね。コネクション、ブランドを買うという解釈になりますかね?一般的なものと比較してそこまでの価値があるかは分かりません。
少し脱線したので話を戻します。
指導者たちは日本サッカー協会の指導者講習を受けているので理解ができていると思います。要はガイデットディスカバリーです。教えるのではなく気付かせる、ということです。
教えて成果が現れるのは今です。気付いて成果が現れるのは未来です。
今を生きるのが上手な方、これは経済活動が上手な方とも言えますが、この場合子供にアウトプットされるのは今です。だから、大人のレールから外れることはありません。今が未来の姿と同じです。カエルの子はカエルとも言えます。親が医者なら医者ですし、親が高学歴なら高学歴でしょう。一般的なら一般的です。
一方で文化的な活動をしている方が子供達にアウトプットするのは未来です。これは大人が想定する未来を子供が超える可能性があります。子供達に答えを与えるのではなく気付かせる、ということは考えさせること思考の機会にも繋がります。
物事を分析し理解を深めることは、コース料理をゆっくり味わい料理人と味や料理の盛り付けなどの見た目、ドリンク、調理法や調味料、素材などについて会話を交わすことで両者にとって学びの機会になることと、ファーストフードをただ食べるくらいの差があると思います。
子供達は経済から切り離されているはずです。要するに一見無駄と思われるような時間を与えられているわけです。しかし、それは文化的な側面から見れば無駄でないのですが、今という経済的な側面から見ると無駄に見えるかもしれません。
子供達は塾や多くの習い事により強制的に今を与えられ経済に巻き込まれてしまっている状態のように見えます。巻き込んでいるのは今を生きている大人たちで、この時間を大人たちが食い潰している状態が現在の姿だと思います。
【子供は小さな大人ではない】まさにこの言葉通りです。
ウサギとカメの競争、急がば回れ、リープブロック型発展、などなど多くの表現がありますが、同じことを言っていると思います。
知らず知らずのうちに子供達の可能性を潰しているのは今を必死で生きる大人達でだろうと思います。ゆとりのない現代社会ではどうにもならないのかもしれません。でも子供達が生きるべきは今ではなく未来です。今の思考のままでは子供達の未来を作れないと思います。
出来ることは、ストリートサッカーという文化の保存と少しの気付きを与えることぐらいです。