ただ遊んでいるだけじゃない?
そうです。目に映るのはただ遊んでいるだけの姿です。目に見えるものは「現象」であり、視覚的に捉えられ比較できるものです。人は自然と何かと比較して「遊んでいるだけ」と評価します。
しかし、そのただ遊んでいるだけの姿を指導者というフィルターを通してみると全く別のものになります。そこにあるのは「主体性」と「自立」、そして「学習」です。
学習の様子は人それぞれ違うと思います。味覚などと同じで他人が評価することができないものです。そのため比較できないので視覚的に捉えることはできません。
主体性ということで言うと「やらない」という選択肢が重要になります。自分がやりたいのか?やりたくないのか?それも選択する自由があります。
鬼ごっこの時は机の上に寝転がっていた子がバスケをやるとなると飛び起きて参加します。それが主体性です。誰かに促されることもなく、その人自身が考え行動する。やることを他人に強制されると主体性を失います。
皆が皆、主体性を持つことは重要ですが、それだけではコミュケーションが上手く取れません。
主体性を持ちながら「自立」することが重要です。自立にはいくつかあります。経済的、社会的、感情的、知識的、自立があります。
子供達は「感情的自立」と「社会的自立」を身につけたら良いと思います。
これらは、自分の感情、周りの人との駆け引き、など自分のポジションを設定する上でも不可欠です。自分のポジションを保ちながら、主体的に行動することが出来ればとても効率よく楽しく過ごすことができると思います。このやり方を間違えると、ハラスメント、マウント、というものが出てきます。
ポジションを保ちながら、主体性を持って行動する。これはサッカーのプレーそのものですよね?
ということは「遊ぶこと」がサッカーにとってとても重要であることが分かると思います。ただ、比較できないので目で見ることが出来ません。近くにいる大人がこの目に見えないものを評価できるのであれば子供は成長することでしょう。
とても伝えることが難しい概念です。