畑で苗に水をやると葉は根元に向かい水を流します。これは根を土に定着させるために必要なことです。写真はバナナです。
逆に大きな木の葉は外へ水を流します。根元は乾燥しており水が落ちるのは少し先になります。濡れた土があれば根はそちらに伸びるでしょう。そして根が広がることで自重がました木は安定を手に入れます。
林業が廃れ間引きが出来ないことで倒木が起きているのは自然淘汰が起きていることになると思います。根を張れる木と張れない木、根を張ることができない木は倒れます。
これは別に何かを調べたわけではなく、私が体験したことからの仮説です。
苗に水をあげるという体験から「根元に水を送る」という現象を見つけました。その後、雨が降り苗より大きな木、トマトの株などもそうですが葉が下を向いていることに気づきます。それによって起こることは水が外に撒かれることです。
それではなぜ外なのか?
木は重いよね!根を張りたいよね!効率が良く根が伸びるね!という発見を繰り返すことになります!枝が幹より外に張り出している以上右の根元に大きな力が加わります。これはモーメントです。モーメントは力点から遠ければ遠いほど力が大きくなります。これはテコの原理です。
視覚的な情報には階層があり表面だけ見ても何も得ることができないのですが、階層を追うこと、見ること、ができればかなり多くの気付きがあります。その気付きが学問です。勉強する意味があるのか?という問いの答えです。自分の体験を検証する、補填する、この辺りが勉強ですかね?
木と雨の様子からこのようなことを体験することができれば、モーメントもテコの原理も当たり前だよね!とスッと受け入れることができると思います。この経験がなければ、なんで?となるのも自然なことです。
少しお高いレストランなどで最後にシェフが挨拶に来てくれるところがあります。これは自分が食べた料理に対して多くの疑問が生まれていたりします。その疑問をシェフに問うことで食材、食事の余韻を楽しむことができると思います。
なぜ、あのような盛り付け方なのか?どうしてあの料理のソースはあの色なのか?なぜこのお皿を使っているのか?あの食材をどうしてこのような調理法にしたのか?など疑問は尽きないと思います。
レストランなどは料理の写真を見て食べてみたいと思えば足を運ぶわけです。今は価格の方が見られているかもしれません。
人間らしさ、生きる、ということはこのようなことを楽しむことではないか?と思います。
これを楽しむためには、何かと何かを比べて「違い」を探す作業ではなく、はなから違うものだ、という認識の上でコミュニケーションをとり「同じ」ものを探す作業が必要です。
人は本来みんなが違うわけでマイノリティーのはずですがマジョリティーを装いがちです。マジョリティーであることを守ろうとすると他の人との違いを見つけ排除する動きが生まれます。いじめ、差別、既得権、格差、などいろいろな課題はこれが原因で生まれているのだと思います。
みんなと同じであることへのこだわりを捨てることが物事の階層を捉えるきっかけになると思います。孤立すること、それを歓迎すること、自分は唯一無二の存在でそれを認めてもらうために表現しているということです。
体験さえ積んでいれば、茄子の苗に水をやり、雨が降るだけで世の中がこのような見え方をしてきます。
「現象ではなく原因」この言葉はとても深いですね。