本気の遊びを手に入れろ!

自由時間という概念

Widget Area

子供達は今日も自由に遊んでいます。バスケをしたり、鬼ごっこをしたり、ドッジボールをしたり、最近はバスケブームかな?

そんな子供達は、幼稚園児から中2までの男女です。当然ながら揉めます。

あれをやりたい!これをやりたい!あれをやるんだからこれを片付けてよ!などなど主張と主張がぶつかります。ルールを作ろうにもどうにもならないでしょう。

そんなところ、今までにない現象が起きました。みんなバラバラに遊びだしたのです。どのような時間か、聞いてみると「自由時間」という答えが返ってきました。なぜ自由時間なのか?それは意見がまとまらないから、という答えでした。

これは凄いですね!正直びっくりしました。

人と違うことを律するのではなくそれを認め尊重する、ということは大人にはできないことです。

スポーツ活動という狭い範囲でも「ちゃんとやれよ!」と言う大人の声がありますよね。

この自由時間にはもう一つすごい点がありました。それは終了時間が設定されていたことです。そのため、自由時間終了後には、またみんなで集まりドッジボールを行っていました。

その後何が起きたかというと1番小さな子から「鬼ごっこをやりたい!」という要望に対して「みんなで取り組んだ」という現象でした。

集団がルールを定めた上で個が自由に遊ぶ、個はそこでルールを作り小さな集団を形成する、制限時間により個は集団に戻る、集団としてルールを持ち集団で遊ぶ、他から要望を受け入れ集団で動く、これ大人にできますか?多分出来ないと思います。

これはとてもヒントになります。どのようにサッカーの試合に挑むのか?「サッカーの試合が集団でルールを持ち集団で遊ぶ」という定義なのか?それとも「個が自由に遊ぶ」という定義なのか?ウォームアップが個なのか、集団なのか、どのように定義するのか、この辺はポイントになると思います。

おそらく、サッカーの試合は「個が自由に遊ぶ」だと思います。そこから小さな集団が出来てルールを作り出します。最終的には集団でルールを持ち遊び出し、他から要望で動き出すようになるのでしょう。

先日の試合でもゴールキックのところではそんなシーンが生まれていました。GKが個でミスをして、1人が関わりミスをして、人が関わることで解決していきました。

何にせよ「主体性」を持って個が動かなければ何にも起こりません。とにかく、「遊び」を体験することです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です