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うさぎとかめ

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「うさきとかめ」の話にはとても重要な概念があります。話から受け取る概念は人によって受け取り方も異なるでしょうから正解はないと思いますが育成という面ではある程度こうであろうという見当をつけることが出来ます。

ひとつの捉え方として「努力」という概念を受け取ることができます。エリートである「うさぎ」が怠慢しているうちにエリートではない「かめ」が地道に継続することで勝つこともある、というものです。

でもこれは「かめ」にとってすごく都合の良い話でもあります。うさぎが怠慢しなければ勝てないということですよね。必ずしも「うさぎ」は怠慢するわけではなく、怠慢せず継続できる「うさぎ」もいるはずです。そうしたら「かめ」は絶対に勝てないんです。

これは「うさぎ」に対して怠慢してはいけませんよ!という「うさぎ」サイドの概念かもしれません。「うさぎ」が怠慢したら「かめ」が勝つんですよ!という話を聞いて「うさぎ」が手を抜くとは思えません。

それでは「うさぎ」と「かめ」をどのように定義して捉えたら「かめ」に対する概念とすることが出来るのでしょう。

例えば「うさぎ」を「競争」に置き換える、「かめ」を「自分」に置き換えると何となく見えてくると思います。

「うさぎ」は速いので競争と定義することが出来ると思います。競争で勝つためには休むことができません。競争するということは相手がいるわけです。手を抜いたり、より速いものが出てきた時点で負けます。

一方で「かめ」は自分と向き合うことと定義できます。これはすごく時間がかかることです。でも自分と向き合い自分自身を使いこなすことができればそれは結局最もベストな状態となるわけです。時間をかけてこのベストな状態になった時、競争を上回ることも可能かもしれません。

結局のところ、チームの中で最も足が速くても市内ではそうではないかもしれないし、市内で最も速くても県ではそうでもないかもしれません。その学年で速くても下の学年にはもっと速い子がいるかもしれません。キリがないですよね。どっかで挫折すると思います。

だったら「速い必要がない」と予め決めてしまった方が楽になります。速くないけれど「予測が上手い」となれば速さを上回ることも出来ます。

サッカーの育成にもトレセンなどがありますがエリート以外にはあまり意味がないと思っています。元々トレセンはエリートを探すためのものでもあり本当のエリートを探す作業がトレセンです。だから無理して選ばれるように競争に勤しんでも何も得るものはないと思います。自然体で選ばれなければ先々残ることも困難です。

トレセンで選ばれるようなエリート達も世代ごとに存在しているので当然競争が激しくなります。このタイミングが競争の始まりでしょう。

勝ち負けではなく、地味に自分と向き合い、自分はどのような人間で、何が得意で、何が苦手で、どうすれば相手の邪魔を回避できるのか、誰かに何かを教えてもらうよりもそんなことを積み上げることが重要になると思います。

サッカーが上手くなるためには、ボールを置き、相手にボールを奪われる、この体験を繰り返すことが重要だと思います。テクニックで回避することは相手がきた時にボールを蹴ってしまうことと結局同じで本当の意味で「相手」と向き合うことが出来ていません。

どちらにせよ、他人と競争しても人が違うので何も学ぶことが出来ません。比較ではなくじっくり自分と向き合うことが大切だと思います。

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