本気の遊びを手に入れろ!

体験と学習と教育と理解

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理解ってなんでしょうね?

私にも経験がありますが、学校の授業で習ってテストで試す、そして時間が経つとそれを忘れる。これは役に立つのか?やる意味があったのか?そんな疑問は付き物です。

でも学生時代にはこの疑問の答えについて知る由もありませんでした。私がこの答えを得たのはJFA(FA)のB級指導者講習会がきっかけです。

指導者として、コーチング、トレーニング計画、などなど色々な体験を積むうちで自ずと答えが見えてきました。

それは「自分」という存在をより明確に意識することでもあります。私がその情報をどのように捉えて、どのように咀嚼し、どのようにアウトプットするのか、基準は唯一無二の自分であり常にマイノリティーです。仮にみんなと一緒というようなマジョリティーなスタンスを取ると指導者になることが難しいのではないか思います。誰かが何かを言っていても何の関係もありません。なぜなら私のその人は違うからです。

要するに基準は常に自分自身です。そのため、サッカーの基準は自分に叩き込む必要があります。叩き込むためには自分自身が多くの体験をすることが重要です。だから、指導実践では選手役も指導者が行います。

自分が体験することで自分の中では体験と知識が磁石のように引き合いながら結合していきます。これらが結合することで知識への理解が進み、それはさらにオリジナリティー溢れる概念に昇華していきます。

これの最たるものを「フィロソフィー」と言ったりします。私のフィロソフィーは「リアクションではなくアクション!」というものです。選手には常に主体的で自立したプレーを求めます。

面白いことに、体験がなく知識だけの場合はフィロソフィーを生み出すようなことが起きません。私も以前はそうでした。知識だけを詰め込み理論を語ることはできますが、フィロソフィーを生み出すことなど全く出来ませんでした。

サッカーはゲームの体験が絶対的に必要です。しかもこのゲームは主体的でなければなりません。チームのプランや指導者の考えに乗っ取ったゲームでは全く意味がありません。だから、ストリートサッカーの必要が叫ばれているのです。

小学生年代、特に低学年で試合に出れない、ということであればすぐにチームを変えた方が良いと思います。子供はとてつもないスピードで発達しています。これはスキャモン曲線にも現れています。

そんな大切な時期にベンチに座っている場合ではありません。ミニゲームでも何でも良いのでとにかくゲームを体験する必要があります。この体験がなければ、サッカーの戦術的な基礎は理解出来ないと思います。なぜなら、体験が足りていないからです。

子供達にサッカーコートを描いてもらうと小学生四年生で習っているようなことも全く生かすことが出来ません。というよりそれに気付くことすらありません。それは大人も同じかも知れません。

小学生が出来るような超簡単な内容ですら、実生活で活かすことができません。これはなぜかというと、これを活用するようなシーンを体験していないからです。人間が効率よく何かをしようとすれば、体験がなくなると思います。

例えば、歯を磨かない子供に対して「虫歯になるから歯を磨きなさい!」と大人が言ってしまえば、その子は、虫歯になり痛い思いをする、歯を抜くことへの恐怖、歯医者さんに時間を取られてしまう、というものを体験することができません。もし、これを体験できるのであれば、永久歯に生え変わった時に歯を大切にすると思います。

でも、大人が「虫歯にならないように」などその後の効率を求めれば、子供は体験すべきことを体験できず、歯を大切にすることを理解する機会を失います。これは言い換えるとリスクマネジメントです。失敗させないようにする、ということです。

「失敗は成功のもと」ということわざがある通り体験により失敗することは後の成功のために絶対的に必要なものです。

子供たちは2時間かけて、ゴールエリアとペナルティーエリアを描きました。ここには多くの失敗があり、そして最終的に成功を導き出しています。

ラインを描いた後に少し説明をしてあげれば子供達は驚くほどサッカーを理解していきます。

ゴール前の守備、サイド攻撃、センター攻撃、クロスの守備、クロスの攻撃、これら難しい要素が多く含まれますが15分くらいのトレーニングで理解して実践さることが出来てしまいました。

トレーニング時間が長くなるのは、単純な話として子供達に体験する機会をつくらないからです。大人が体験することの重要性に気付いていなければ子供も体験することが出来ません。

「蛙の子は蛙」大人次第です。

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