みんな金太郎飴のようではないですか?
こうすべきだ、という教育で型にはめられて同じような選手が量産されています。人との違いは運動能力の差として現れます。
規則正しく、原則に沿って、となると個性は消えます。なぜこのような教育をしてきたか?というと軍人を育てるためです。明治時代の名残が今だにあります。
現在はサッカーの基礎を小学生の間にしっかり身につけさせようという風潮が強いですが、とても良くないと思います。なぜなら、それは個性があることが前提となっているからです。よく見てくださいそんなもの持っている子は殆どいませんよ?
個性が育つ時期にみんな同じことをして同じにしてしまえば、差が生まれなくなります。みんな同じようなプレーをして、すこーしだけ、ちょこっとだけあるクセのようなものが個性のように見えるだけになってしまいます。
私は個性爆発の状態から丸くなっていった方が他との違いが出てくるのでオンリーな存在になれると思います。プロになりたいのであればその方が良いし、プロにならないのであってもその方が良いと思います。一生競争していくのはしんどくないですか?
小学生は学年ごとに縛られていますが、上の世代からは一つ上の学年、その一つ上の学年、一つ下の学年、その一つ下の学年、の子達はライバルです。二つ上に勝てないのであればチャンスは少ないと思います。
個性を育むためには、一人一人ペースも段階も違うので、じっくりと時間をかけてあげる必要があります。
でもこんな弊害もあります。個性を磨き上げると、トレセンでは上にいけなくなるかもしれません。別々のものを比較するためには指導者側の能力も求められます。セレクションもそうかもしれないですね。その子とあの子を比較するとその子のほうが速いよね?これがわかりやすいですね。
ただし、結局勝負をする年齢では個性が求められます。今度は人と同じでは選べないですよね?みんな同じなわけです。
低年齢では、早く同じになるように、規格に合った人を選び、年齢が上がるに連れ、人と違う人を求めることになる、ということですね。
普通に考えたらわかると思いますが、そもそも個性を育ててないんだから大人になってそんなものがあるわけがありません。
大人であれば、自分が努力すること、規格に合わせること、は結構簡単にできると思います。しかし、大人に近づいてから個性を育てることはなかなか難しいと思います。個性は今まで時間をかけて体験してきた全てが影響してきます。人から教えてもらうことができないものです。みんな違いますから。
だから、自分自身で獲得するしかないんです。そして唯一サポートしてあげられる存在が保護者です。皆と同じになるように躍起になっている姿を見ると不思議でなりません。
お子さんは父の母のDNAが合わさった唯一無二の存在です。