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目に見えているものが違う可能性?

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視力の強弱はあるにせよおおよそ人は同じものを見ています。それは「現象」ということができます。同じものを見ています。しかしながら、この「現象」は同じであっても受け取るものが違う可能性があります。

例えば「キノコ」はどうでしょうか?あまりにも毒々しいキノコは食べることはないと思います。ここにはメタファーという比喩が働きます。他のもので毒があるものを視覚的に比較して似ていれば毒があるとカテゴライズします。これは人間が生きていく上で必然的な能力です。毒を喰らえば死んじゃいますね。車を前から見て何かの顔に例えたりはしませんか?メタファーです。

でも、毒キノコのようであり食べることが出来るキノコも存在します。もし、この判断が出来ればその食べ物を独占することが出来ます。なぜなら他の人には違いがわからないからです。このキノコを見極める能力は知識に他なりません。

しかし、この知識をもとにさらに食べられる毒キノコっぽいものをジャッジすることもできるかもしれません。これは、類推することアナロジーです。ロジック的に「これは同じである」と定義することができれば安全性が確認できます。

人が生き抜くためには「メタファー」が不可欠です。でも人に勝つためには「アナロジー」が不可欠です。

これは指導者が教わる概念「現象ではなく原因」と同じことです。視覚的に同じであることはメタファーであり、現象です。しかしながらロジック的に同じであることは原因でありアナロジーとも言えます。ここは少し補足しておきます。

類推することは、サッカーだけに留まらず、自然界であったり、粒子であったり、他のスポーツであったり、勉強するような科目であったり、経営であったり、と何でも良いです。要するによくよく分析してみると何でも同じ振る舞いをしているということに気が付きます。

ここには類似性があり、それを当てはめることで仮説が生まれます。仮説を実証するのは研究になりますが、概念の比較は今ならAIで行えます。現象には原因があります。その原因から現象を生む過程は結構いろいろなものが似ています。

このアナロジーというものを見つける能力があれば原因は見えてきます。

仮に原因をサッカーだけに求めると少し違った捉え方になってしまいます。これは現象が似ているからです。突き詰めるものが違うのでサッカー以外には全く役に立ちません。海外のユース選手はサッカー選手という道がなくなった時に経営者になるケースが多いそうです。これはまさにアナロジーです。経営とサッカーがロジック的に同じである、ということですね。

となれば、逆に経営からサッカーを類推することも出来ます。このようにすれば毒キノコを見極めることが出来るということです。

そのため、指導者は一般の方と見えているものが違います。誰もが見ているもの、明らかに食べられるキノコは取り合いですね。指導者は毒キノコっぽいけど食べられるキノコを選ぶことができます。

ではそのロジックは何なのか?ということですが、それはティエラでの自由な遊びに溶かしてあります。

適切な内容とオーガナイズによるトレーニング計画&ポイントを端的に指摘するコーチングができるのは、メタファーを扱う解説者ではなく、アナロジーを扱う指導者だけです。結果が同じように見えて育ってるものが違う、ということもあります。

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