本気の遊びを手に入れろ!

チャレンジ!というもの

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チャレンジ!という言葉はよく使います。ではチャレンジとは何ですか?これは言葉自体の概念ではなくあなたにとってチャレンジとは何ですか?ということです。

言葉は皆同じように捉えられるように概念が、例えば辞書にまとめられています。しかし、人は皆違うわけですから人それぞれの感覚にとって解釈は変わってくるはずです。

誰かがチャレンジしている様子は現象です。だからその現象には原因が存在します。この原因がチャレンジとは何ですか?の答えに当たると思います。どう見えていますか?

自己中なプレーはチャレンジに包括されると思います。でもその延長線上にマリーシアは存在していません。マリーシアはチャレンジを包括していると思います。

どういうことかというと、まずチャレンジはリスクマネジメントを包括しています。これはなぜかというとサッカーには「相手」がいるからです。ボールホルダー側のチームにとって有利なシーンは逆に相手チームも同時に見ることができます。これは視覚的な情報ですからどちらのチームも平等に見ることができます。

ここにパスが出そうだ!という状況に対してパスをすれば、これはインターセプトをされて早いカウンターを受けることになります。4局面で言うと「ボールを失う」という局面です。

だからこのシーンは「リスク」と評価することができます。ここでリスクマネジメントをすると、それはチャレンジしている様子、現象になります。これは同時に相手を騙すことにも繋がります。

ダチョウ倶楽部と同じように「押すなよ!押すなよ!」はフリです。

「私はこっちに向かおうとしてますよ?」というフリに対して相手が反応すれば逆をとったり、反応がなければそのまま行けば良いことになりますね。この先にあるのはマリーシアです。

現象だけ見ると、自己中でボールを握り続けることが良いように囚われがちですが、そんなわけありません。プロの下部でもトレセンでもそのジャッジは怪しいと思います。なぜなら、このジャッジはサッカーの能力ではないからです。人としての体験量であったり能力に依存しますので元プロであろうと関係ありません。

チャレンジしろ!それで上達するかもしれませんし、しないかもしれません。それはその子の能力次第です。

ティエラでは、まず自分を育てていきます。その上でリスクを理解してそれをマネジメントしてもらいます。そうするとチャレンジになり、先々はマリーシアへと進化を遂げます。

よく、日本とヨーロッパのサッカーの違いをヨーロッパ人が例える時に「労働者と発明家」と表現します。

ティエラが育てていきたいのは労働者でなく、発明家、言い換えれば投資家といった海外の選手のような人材です。だから、テクニックではなく自分を育てていきます。テクニックは効率的に作業をする労働者に求められるものです。投資家はお金を払ってその労働者を使います。

忍耐などがなぜ求められるのか?それは労働者だからです。投資家であれば好きなことに打ち込みます。これが世界のテクニックでこの感覚の差が世界との差だと思います。

ある投資家(実業家)が寿司職人の長い修行期間は必要ない、と言っていましたがこれも視点の違いです。労働者から見れば必要なことで、投資家から見れば必要ないことです。お金を払うのは寿司そのものです。

チャレンジがテクニックを駆使して実行されるタスクであれば、それは労働者、チャレンジが自己実現のためのリスクマネジメントであれば、それは発明家、だと思います。どちらかに優越があるのではなく視点が異なるということです。

「現象ではなく原因」誰が何を見て何を評価しているのか?これがポイントです。さて何を身につけましょうか。

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