2つのテーマです。
一つ目は自由な選択についてです。よく「本人に聞いてみます」という保護者の回答がありますが、これは本人の成長にとってあまり良くありません。
大人が本人に聞いた時点で2択になりますね。
「やるorやらない」これは良くありません。
選択というのは自由でなければ意味がありません。意味がないというのは、成長する、本人が自分を自覚する、という面です。2択の答えは「好きor嫌い」という現時点での感覚に基づいています。そうなると現時点より成長しないことにつながります。なぜなら「嫌い」という方にあることを体験する機会がないからです。
「嫌い」として避けているところには本人の課題が隠れています。弱点ですね。これを克服する方法を見つけるためには「やってみる」ことが必要です。
私が推奨するのは本人には何も言わずに体験させてしまうことです。体験した上で本人が何かを得れば良いのです。
これは、「易」と言われる占いなどにも使われる概念「隠と陽」にも通じます。「八卦」というトーナメント表を逆にしたような形でこの「隠と陽」は「隠隠」「隠隠陽」というように展開していきます。
これはコンピューターで使われる2進数とも同じです。「0と1」から「010010」は「りんご」ね!というようにソフトウエアが定義していきます。一見すると複雑なものは、原点を見ると単純です。原点が単純だからこそ複雑になるのだと思います。
人間は「やるorやらない」というような2つの要素で個性が形作られていると思います。
「やるようでやらない、と思いきややる」という性格だったり「やらないようでやる」という性格だったりします。これを見つけることができればそれが本人です。
この鍵を使えばなんでも出来ますね!そのためには2択を与えてはいけません。これは「道(タオ)」の概念でもありますが長くなるので割愛します。
二つ目は原点ですね。
少し原点の話も出ましたが、ここではスポーツの話をします。スポーツは仕事の合間にやる「気晴らし」が語源だと言われています。平日は学校で勉強をして、土日は思いっきり体を動かして「気晴らし」する!そんな姿が理想的です。
しかし、どうでしょう?
どこもかしこも、平日と同じようですね。気晴らしになりますか?
学校の勉強は完璧でしょうか?完璧でないなら、なぜ完璧では無いのですか?これは基礎を飲み込めてない、消化できてないからでしょう。小学校の内容は特に勉強しなくても分かる内容です。
基礎を習得するのに時間がかかる子がスポーツだけは別!となるわけがありません。同じ脳みそを使ってます。
スポーツの原点は「楽しい」ということにあります。この基礎を理解できていないのに競技性の高いことばかりやっていればどうなるでしょう?
今枝葉を追いかけるのではなく、幹を太くすることが将来の可能性を広げることになりますね。