今目の前で行われている、多くの人が取り組んでいること、には安心感というものが生まれます。
何を持って安心なのか、というのはひとまず置いといて「赤信号みんなで渡れば怖くない」こんなところです。
多くの人と関わっているのであればそれが平均です。しかし、これはあくまで平均であって「普通」ではないです。
この辺りを整理する必要があると思います。
みんながやっているから、というだけで取り組んで安心していてもそれでは家の中の様子は皆同じでしょうか?1億円単位の資産があるような家であればしっかりとした教育がなされていると思います。普通のサラリーマン家庭では気付くことが出来ないようなことに彼らは気付き継承していますね。
同じつもりで同じでもなく、みんなやっているから、という安易な安心感をお金で買っているようでは子供は育たないです。
これからの時代は「教育の崩壊」が起こると言われています。
皆一緒のことを学び何かを成し遂げるということが難しくなっていきます。
簡単な話をすればAIというものにはプロンプトというある種の指示を出します。この指示は今までのプログラミング言語ではなく口語体が使われます。これは自分がアウトプットするものです。
お笑い芸人さんのように同じ日本語を使って面白い話ができる人もいれば、つまらない話をする人もいます。その人次第ですよね。
だから、皆同じ教育ではなく個人の感覚を磨く時代へと変化していっています。この流れが見えていなければ今までと同じく「教育」的な育成を求めることになるでしょう。
習慣を抜くのにはかけた時間と同じ時間が必要で、脳の発達は12才までに80%に達してしまうこと、などを考えても安易な安心感をお金で買っている場合ではないと思います。
今年最後の記事はこれからの時代を生きる子供たちについて警鐘を鳴らすものです。
来年も感覚を磨きましょう!