この日は北野さんにご招待頂き、6年生の大会に参加しました。我々のチームには、一年生を含む学年的に下の子達が多くいます。
結果は全敗です。
でもね、子供達、保護者の表情は晴れやかです。
なぜだと思いますか?
これは単純な話で、彼らは自分と闘っていたからです。他人との闘いではなく、今の自分と絶えず闘っていました。そして、みんな今の自分に勝つことができました。これを成長と言います。その姿を見た保護者達は嬉しそうでした。
小学生において勝ち負けなんてものはどうでも良いことです。それは、発育発達が早い子が有利なだけで競わせても意味がありません。そのような子を集めて闘わせれば多少意味はあるのかもしれません。その意味とはトレセンと同じで”挫折”というものです。
成長は、他人との比較、やり方の習得、では得られません。
自分との闘いに勝たない限り得られません。
試合に出れない子がいました。あの子と交代してあと少しで出るんだ!と言いつつもなかなか勇気を出せません。
私は彼に伝えました。
時間はみんなのものだから、自分から奪いに行かないと獲得できないよ?
最後の試合、彼は俺は出る!と言って試合に参加してくれました。そして彼のところからボコスカ攻められて失点をしました。
中にいる子供達は、ポジションを変えてあげながら彼をサポートしてくれました。
みんな自分に矢印が向いています。他人のせいになんかしません。失点は皆自分の責任としています。
彼はその後、ディフェンスで相手のボールを奪ったり、必死に追いかけたり、ドリブルでボールを運びノールックパスを出して、スペースに走ったりと、サッカーをしていました。
他の子供達もみんな同じです。試合を繰り返すたびに自分を更新していきます。
ティエラは誰が試合に出て誰がどこのポジションなのか、は全て子供達が決めます。6年がベンチで1年がスタメンということもあります。それに対して誰も文句を言いません。彼らの脳は大人なのです。
現象と原因
この言葉が指す意味はとても深いです。サッカーには狙うべきものが明確にあり、それを狙う事により芋蔓式に全ての要素が引っ張り出されていきます。一つ一つフォーカスしてトレーニングしても無駄です。なぜなら、右脳優位の子供の脳では対応できません。
ものすごく成長を感じられる大会でした。サッカーはいいですね!