フェイントというのは簡単であり困難でもある、テクニックでもありプレーでもあります。
これは取り組み方で随分と異なります。
テクニックとして簡単に捉えることも出来ます。これは右に踏み込んで左に行く、というように流れで反復して相手との反応速度の差によって成立させます。
テクニックにとって重要となるのは”スピード”です。
基本的には相手よりもスピードが速ければ抜けます。しかし、守備者が姿勢を低くして守備が出来るようであればスピードだけでは抜けません。これはスピードに対してリーチで対応されるからです。サッカーはゴールが中央にある以上、攻撃者は守備者よりも移動距離が長くなります。
そのため、リーチを出されると途端に難易度が上がります。今度は体制を崩す必要が出てきます。逆を取るというものです。しかし、これも姿勢を整え取るべきトリガーを視覚的に理解している守備者であれば対応してきます。
この辺りでテクニックは通用しなくなります。
ではどうするのか?その答えは比較的簡単です。
目の前で起きていることを頭にインプットして即座にアウトプットすれば良いだけです。プレーです。
自ら起こしたアクションによって相手に変化が生まれるのかどうかを観察します。変化したのであればそれを利用できるのかどうかを判断します。利用できるのなら使えば良いですね。使えないのならやめれば良いです。
自らのアクション、これはアウトプットです。それによる結果を視覚的に捉えます。これはインプットです。そして、インプットした状況を脳で処理します。その結果、行動を起こしアウトプットをします。
これがプレーの流れです。相当脳みそを使います。
テクニックでは何かやることで足が出るのでこうする、というような脳への省エネが働きます。
プレーとなると、結果が必ずしもそうではない、となります。
これを学問に落とし込むと、1+1の答えの精度を高めようとするテクニック。2という答えになる手段を考える、プレー。こういう違いが生まれます。簡単にいうとテクニックとは計算機です。
多分、テクニックを求めれば戻れるほどAIによる模擬戦のような映像でよくない?という現象が未来で起こると思います。自分好みの計算結果を見せてくれるサッカーという観戦方法も生まれるかもしれません。
しかし、サッカーをはじめとするスポーツの醍醐味は意外性による歓喜だと思います。手段を競うプレーを魅せるものです。
相手にこんな言葉を投げかけたらどういう反応をする?というようなコミュニケーション能力がプレーの豊かさを生みます。それらを無視して、こうやればこうなる、という合理性を突き詰めれば単純な結果を見ることができます。
計算機に8+9-2+19/3=と打ち込んで答えを見てもつまらないと思いますよ。これがテクニックの結果ですが誰も見ないでしょ?