最近の子供達を見ていると主体性、主張、というようなことはだいぶ目で見られるようになってきました。
これをやりたい!これをやりたくない!としっかりと主張があります。それによって譲ったりという現象も見られます。
今、観察している現象は”自己犠牲”です。
誰もやりたくないこと、やることで自分が痛い思いや辛い思いをしそうなこと、これらを私がやります!と言えるかどうかです。
私自身は比較的にそのような行動をとります。自治会長だったり、PTA会長だったり、誰もやりたくないような役職はおよそやらせていただきました。
私の場合、誰もいないならしょうがない、やることで自分自身にも学びがあり成長できる、この二つの思考から起こる行動です。
嫌であろうことは想像するに容易いです。しかし、その先にある成長を知っていれば天秤にかけることも出来ます。そして、嫌な要素が大きくなればなるほど比例するように成長がの要素が大きくなることも知っています。
給食は好き嫌いなく食べよう!はそこにつながります。
これらは五感によるものです。五感的に好きではない、と判断されることを脳が予測して避けます。だから、そこが発達しません。
しかし、あえてそこをやれば使われていない脳の部分を使うことができます。これが嫌なことをやることで得られる成長です。
今まで使っていなかったところを使った結果、過去にやったことがあることを、またやろうとしたら違った思考、行動になっていきます。
サッカーのプレーでもプレス、シュートブロック、浮き球へのチャレンジ、トランジションなど、苦しい場面がたくさんあります。
こんな時に”私に任せろ!”という選手がいたら頼もしくないですか?
じゃー俺がやる!いや俺がやる!やる!
どうぞどうぞ〜
ダチョウ倶楽部さんのネタはコミュニケーションの芯をついてます。