フィジカル勝負は見ていて楽しいものではありません。それはある程度結果が分かるからです。
例えば3mのバスケ選手がいてゴール下に陣取っていたらどうなるでしょう?ダンクなんだろうなという予想通りダンクなんでしょう。
これは見る必要がなくなっていきます。一度見れば十分です。
今はスポーツもデータを分析して効率よく結果を得る方法を導き出しています。これはこれでその視点だけで捉えれば面白いのかもしれません。サッカーも戦術的な解説が流行っています。
データとはなんでしょう?これは多くの場合”数字”です。走行距離であったり、時間的な要素であったり、割合であったり、回数であったり、およそ数字で表されます。
数字というものは1であれば1ですよね?これは誰が見ても変わりません。そうすると1を競う競争が生まれます。これがトレーニングに落とし込まれます。どの数字に価値があるのか、そんな競争が起きているのが現代サッカーでしょう。
今のサッカーがつまらない、と過去のスター選手たちが言っています。
その理由がなんとなくわかると思います。過去の選手たちと今の選手たちの圧倒的な違いは、この数字の捉え方、捉える視点にあります。
今は、結果から1というものを割り出してその質を上げようとします。しかし、昔は0から何かを見つけてその質を誰も気が付かない間に上げていた、という感じです。
この”0”というものはとても重要です。
0は何もないと判断します。しかし、何もないと判断するためには何か比較対象がなければなりません。
例えば、そこに1がある。だからそれは1が無いから0なんだ。という感じです。しかし、0には2がある可能性があります。なぜなら、2は比較していないからです。
そうなると0というものは”何もない”ということではなく”比較対象がない”と言った方が適切だということが分かります。これは非常に道(タオ)の概念に近いです。
要するに0には”何かがある”ということです。それを評価しないだけの話なんです。
しかし、今の世の中は比較しまくりです。これがドリブルである、これがサッカーである、全て名前を定義します。そのため、その比較対象と照らし合わせて違えば”それはサッカーではない”と言ってしまいます。簡単な例で言うと”鬼ごっこはサッカーではない”と評価します。
しかし、鬼ごっこには突破の概念、横のサポートへの気付き、相手との距離感、プレス、ドジング、ステップワーク、スペースの認知、アジリティ、などなど多くのサッカーに使う要素が含まれていることが分かります。
要素の重なりが多いのであればそれはサッカーとも言えます。ここでの課題は、評価する人が鬼ごっこを見てその比較基準に気付けないことです。
サッカーっぽいトレーニングをしないと気が済まないのは既に比較が始まり何かを排除してしまっているからです。この状態では全てが質を上げる競争になり苦労すると思います。
なぜサッカーがつまらないのか?それはサッカーという名前で比較しているからに他なりません。
物事の捉え方、視点、この辺りを子供達に教えてあげないと親と全く同じ人生を歩むことになります。親が子に親よりも良い未来を提供したいと思うのは当たり前の話です。しかし、それこそ^_^質の差になってしまえば、子供は親よりも苦労する未来になっていきます。
この”0”の概念はほぼ全ての答えになっていると思います。ぜひ学んでみてください!