本気の遊びを手に入れろ!

別に関係がない

Widget Area

私にとって目の前の子がサッカー選手になろうが何になろうが別に関係はありません。

なぜなら、私ではないからです。

その子にはその子の判断があり、今であればご家庭の判断もあるでしょう。一応、指導者としてこうすればこうなる、という道を示すことはできます。

しかし、その道を歩まなくても私には関係ありません。もう少し若い時は、何とか子供達の可能性を広げようと必死になっていましたが、今はその必死さというものはありません。当然、可能性を広げてあげよう、という気持ちに変わりはありません。

少し薄情に映るかもせれませんが、暗い洞窟の中、何も見えない状況で何があるかもわかっていないのに勇気を持って進むことが出来るのか?というとほとんどの人は無理でしょう。

指導者として、その洞窟の先がどうなっているのか、何があるのか、は示すことが出来ますが勇気を持って歩くのは本人ですね。ここは私が関われるところではありません。本人に勇気がなけれは周りの大人がサポートしてあげれば良いですがそれも難しいのであれば辞めた方が得策です。

皆が皆、目指せるものでもありません。これも平等な機会です。

写真にあるような動きは教えることが出来ませんが、それが出る場面を作ることはできます。

勇気を持って踏み出せば得るものは大きいです。しかし、踏み出せないのであれば別の道を進むべきです。

サッカーは競技人口も多く勝つことがとても難しいです。そこでの闘いは誰でもできるものではありません。

結局は”楽をしたい“この物差しがその人の中でどれくらい重要視されているのかによります。お金が欲しいとよく言う人はお金を持っていません。でもお金があれば楽ができることは知っています。しかし、お金を自分で稼ぐことはしません。してればお金が欲しいとは言いません。

自分ではなくお金を払って誰かに育ててもらおう、しかも自分が嫌な思いをせず気持ちよくなれる場にしよう。この真逆を選んでいる人の子は大変な世界の中でちっとも大変とも思わず活躍していきます。

努力、忍耐、などそんな当たり前のことを最もらしく口に出しているようでは話にはなりません。それは当たり前で求めているのはその先です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です