サッカーを勘違いしている人はとても多いです。勉強のように何かを一生懸命習い覚え発揮することを良しと考えてたりしませんか?
この選択は間違っています。
サッカーは暗記をしてその場でそれを思い出しながらやる物で話はありません。
その場の雰囲気を感じ取りプレーするものです。そのためには感覚が鋭くなっている必要があり、そのタイミングで創造性豊かなアイデアが浮かぶ必要があり、それを活かせるだけの身体操作が必要です。
そんなに難しい話でもありません。
遊んでいれば良いだけです。必要なのは主体性です。何かを暗記している子は誰かに何かを教わっています。だから、それが必要なことなのかどうかも他人任せです。そのジャッジは他人が褒めることで納得に変わっていきます。これでは承認欲求だけが育ちます。
自分がジャッジしなければなりません。
そのプレーをなぜやるのか?そのために何が必要となるのか?これらは当たり前に自分で答えを出します。
おそらく、暗記をしている人にとってはとても難しく見えると思います。しかし、これが当たり前の人もいます。
普通という表現はとても曖昧です。自分の体験に基づいているだけなので別にそれが多数派であるわけでもありません。
特に日本人は相手に合わせます。あえて自分の意見を言うこともありません。気がつく機会もそんなに多くはありません。
サッカーに何が必要となるのか?
これは1人遊びをする力です。なんでも良いと思います。1人だけで何かをやっていつまでも遊び続けることができること、これがサッカーが上手い人の特徴です。そんな人たちのエピソードの多くは暗くなるまでリフティングをしていた、と言うものが多いと思います。
もう一つは身体操作です。サッカーだけではないと思いますが、丹田というものを意識できるかどうか、は重要な要素です。蹴る時、止める時、これらは丹田を中心に骨盤が動きます。そして、足の使い方も重要ですね。キネマティックリンクをどのように活かすのか?そして、フォロースルーでの足持っていき方、とここさえ身に付いてしまえばあとはアイデア次第です。
たくさん体験して五感を鍛えておくことで試合中に知覚を使い判断が生まれます。
ただそれだけの話です。
それを理解できないといろいろと形を作って暗記しようとしてしまいます。毎日漢字テストや英単語のテストをやらされたらどんな気持ちになりますか?私ならつまらないのでそんなことはやりません。どうせ時間が経てば忘れますよね?