とにかく同じことを繰り返します。何かを暗記させるのではなく自分自身の力で気付くために。
だからそこには競争を持ち込みません。勝てば気分が良いでしょう。しかし負ければ気分が悪いですね。そのような感情の取り合いはどちらが得ればどちらかが失います。
勝った子も負ければ失います。意味がありませんね。
それであれば競わず全員が獲得できる形の方が賢いです。みんなが笑顔を遊び、何らかの文句を言い、でも結局はどうでも良くなりまた遊び出す。そんなことを繰り返します。
するとどうでしょう?
教えてもなかなか出来ないようなことを子供達は自然にやり始めます。残念ながら、大人が過干渉になること、これが最も大きな害悪です。
意味があるのか?ないのか?
競争という視点で捉えれば意味はないでしょう。勝ってませんので。しかし、負けてもいないので失ってもいません。
自己成長という視点であればここにいる全員が勝ちです。
他人にやらされているような子は一流にも二流にもなれません。なれるのは三流です。そこでは毎日不満言い、収入やら、学歴やら、出世やら、子供を使ったマウントやら、くだらない競争に囚われた多くの人がいます。他人より少しでも上にあることを強調し陰口を叩かれ、それに傷付きというような難解な人生は嫌ですよね?
そうならないために必要なのが徹底した遊びの体験です。詳しく説明するためには、受け取る側にも多くの知識が求められます。子供の笑顔を見て癒されている保護者、この人たちはトビを鷹にします。