一緒にサッカーをやっていて「こいつサブイなー」という人がいます。周りと合っていない、マイペース的なテクニックを披露してくる人は寒いですね。
時に相手にもボールを取られるようにプロレスをしたりすることも必要です。そんな奴がいても楽しくありません。
協調性がない、共振的な力を生み出せない、独りよがり、明らかに人として経験不足です。
サッカーというルールの中で何かをやろうとするあまり寒く映ります。
自分が活躍することがあれば、味方にもそれはあり、相手にもあるでしょう。ある種のエンターテイメントとして成立しなければ観客は見られたもんではありません。
過剰にテクニックを磨いたり、フィジカル的な要素だけでゴリ押ししたり、スピードだけで仕掛けてきたり、戦術的な順序を徹底したり、寒いよね。
そんなサッカーしか育成されていません。
これはサッカーに対するレイプですね。見ていてとても不快です。強ければ良いのかな?と思ってしまいます。
まず人がサッカーに愛されるべきではないでしょうか?マラドーナなどスーパープレーヤーはサッカーに愛される方が先で、その後マラドーナがサッカーを愛することで途轍もないパフォーマンスを披露していました。
もともと、砂利混じりの大地でサンダルを履きまたは裸足でサッカーボールの規定から外れたボールを扱い楽しんでいた。そうしたらサッカーに愛され、サッカーというルールの中でそれらを活かす術を身につけて輝いた。
人がサッカーに愛された。
ただこれだけの話だと思います。しかし、現在はどうでしょうか?こうやったら良い!ドリブルとは?戦術を実行すれば勝てる!などなどサッカーに対するレイプが横行しているように思います。
それではサッカーも魅力を発揮できませんね。
ティエラではサッカーに愛される人を育てます。そしてサッカーに愛されたその子供がサッカーを愛するかどうかは本人次第です。なぜなら、サッカーを愛することはとても辛いことが伴うからです。
限界を超えて走る、どうしたってこれは絶対条件でしょう。