そう、火曜日はただ遊んでいるだけの活動です。遊んでいるだけだから価値がないのか?というとそうではなく価値はあるが評価されない、できない、ということだと思います。本来は遊びにこそ価値があるはずです。
子供達は年齢に関係なく遊んでいます。よく考えてください。いろいろな年齢の子がそこにいるということを!大きな子はどうするのか?小さな子はどうするのか?同じ年齢ではないので知識、体力、身体能力などに違いがありコミュニケーションはとても難しくなっていきます。
でも目の前で子供たちはみんな楽しく遊んでいます。サッカーというスポーツはコミュニケーションがとても大切です。いろいろな子供たちがいろいろな場所でサッカーを楽しんでいると思います。だから自分と合わないから、スタイルが違うから、遊べない!なんて言っているようでは話になりませんよね?いろいろな地域から選手が集まる上のカテゴリではそんなの当たり前だと思います。
それでは何をしているのか?フラフープをしたり、鬼ごっこをしたり、バレーボールをしたり、ドッジボールをしたり、といろいろな遊びを自由に展開しています。
子供達はなぜこれらの遊びをしているのか?それは私が遊びと遊び方を教えたからです。そして私は指導者なので当然この遊びはオーガナイズされていることになります。最近は私が関わらなくても子供達だけでやってくれるようになりました。主体性、自立、自主性、成長を感じます!
では、この遊びでは何を落とし込んでいるのか?それは、空間を捉える能力、プレーの準備を早くすること、コアの強化、ステップワーク、視野の確保、などを狙っています。これはサッカーに必要となる能力です。子供達は遊んでいるだけでトレーニングをしていることにもなります。
ゲームの中にあるドリブルやパスやトラップなどはこれらを元にした現象です。その現象のトレーニングに時間を費やすよりもその元となる原因のところをトレーニングした方が効率よくテクニックを磨くことができると思います。ポテンシャルが上がればテクニックはゲームだけでも上手くなります。
サッカーだけではありませんが、現象ではなく原因を改善しない限り、本当の意味で上手くなることはないと思います。しかし現象から原因を分析し見つけられるようになるためには、それなりの知識と経験、学びが必要となります。原因へのアプローチは誰にでもできるわけではありません。逆を言えば、残念ながら原因に対するトレーニングの価値は誰にでも評価できるわけではありません。
ドリブルのスクールが流行っていることを考えると、恐らく現象を評価しているんだと思います。でもそれは現象であって幻なんですけどね。誰でも見ることができて雄弁に語れるのは現象についてです。これは指導者じゃなくても誰でも見ること、語ること、が出来ます。指導者ライセンスは必要ありません。
この遊びの時間は、自主性、主体性、自立、を身に付けるモンテッソーリ教育、ブラジルの路上で行われるストリートサッカー、野山で遊んでいた昔の子供達、それらと同じです。
遊んでいるだけ?この活動に価値を感じられるのであれば子供のポテンシャルは上がると思います!なぜなら、これは原因の改善だからです。