本気の遊びを手に入れろ!

どの「ものさし」ではかる?

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結論から言うと大人の「ものさし」は子供達の未来を奪ってしまうかもしれません。

特に「真面目にやれ!」「ちゃんとやれ!」「しっかりやれ!」は呪いの呪文だと思っています(笑)

全てのことを大人が持つ常識というものではかると上であげたような言葉、それに合った感情が湧き起こると思います。

でも、ふざけているように見えたその遊びの中に優れた身体操作があったらどうしましょうか?真面目にやれ!と指摘された子は恐らくやる気をなくしてしまうでしょう。

これはその子の将来、可能性を狭めることになると思います。

真面目にやれ!と言いたくなる状況の多くは「子供達が遊んでいる」という現象ではないですか?その遊びには、身体操作、主体性、協調性、コミュニケーション、テクニック、アイデア、など多くの要素が溶け込んでいます。何にせよ、子供たちは右脳が優位に働き、左脳が優位の大人とは違う、という前提の理解が必要です。

さて、どの「ものさし」でその遊びをはかりましょうか?

呪いを避ける最も有効な手段は指導者が学ぶことだと思います。自分自身の経験だけではなく、学びを生かします。

学びの捉え方はいろいろあるのかもしれませんが、私はこのように定義をしています。

例えば、電車が大好きな子がいるとします。

一生懸命電車の名前、形状を覚えるでしょう。そこで図鑑などの書籍が登場するかもしれません。そこには文字があり、理解し読むために字を覚える必要が出てきます。今度は自分で電車の絵を描いてみたくなるかもしれません。路線図や駅に興味を持つかもしれません。そこには駅名があり、漢字があり、その駅を中心とした街があります。

というように、好きなことから学びが展開されていきます。電車が好きだから駅名の漢字を通して漢字で書くことができるようになるかもしれません。でもこれは漢字を覚えようとしているわけではありませんが、結果として漢字を覚えると思います。

学びが展開していくために重要なのが主体的であることです。人に何かを言われてやっているわけではなく、何かルールや制約で縛られているわけでもなく、自由に自分で考え行動に移しています。準

備されたトレーニングをやっているだけでは上手くなるわけがありません。これは学びとはかけ離れています。

指導者をやっていても同じことが起こります。サッカーは頭と体を使うので、脳や発達に興味を持ったり、骨格、身体操作を研究したり、チーム競技というところからはコミュニケーションの存在、クラブからは地域社会の形成やスポーツ社会学、統計学など学ぶ分野は広がっていきます。

サッカーだからと言ってサッカーだけ詳しくなるのではなく、そこに必要となるあらゆる分野に興味を持ち知識の探究をする状態、私はこれを学びと定義しています。

子供達はサッカーを楽しむことでトレーニングに夢中になったり何かを調べたりするかもしれません。スペイン語や英語など語学に興味を持つ子は多いかもしれません。身体操作からは他のスポーツ、戦術からは将棋、対人からは格闘技、勝敗からは兵法などにも興味が出てきてもおかしくありません。

指導者はあらゆる分野から培った知識をもとに子供達をサポートしていきます。目の前で起こった現象に対する原因、その現象に対して何を評価するのか?これは指導者の知識量次第です。必ずしもサッカーに原因があるとは限りません。

目の前の子供たちは楽しそうに遊んでいます。

その時、私の頭はフル回転で検算を始めます。その行動は何を基にしているのか?その上で何を評価すべきか?

子供達がポジティブに活動しサッカーを楽しむためには指導者が学び続ける必要があります。常に自分に矢印を向けています。

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