KYなんて言葉が少し前に良く使われていましたね。「(K)空気(Y)読めない」
これはどちらかというと「あなたは空気が読めないなー」とネガティブな意味合いで使われます。でも、これはダメなことなのか?というとこです。
あくまで、頭の中まで理解できる可能性があるのは自分自身だけで他人のことがわかる人はまずいないと思います。わかるわけがありません。
結婚されている人なら良くわかると思います。旦那さん、奥さん、のことを理解できますか?
少し視点を変えて、同じ料理を食べて「美味しい」という感想をみんなが言えばそれは同じ味でしょうか?味覚なんて人によって違うわけで他人と共有することは出来ません。中にはマズいのに美味しいと言ってる人がいるかもしれません。これが空気の読める人です。
人は曖昧な言葉を使ってあたかも同じように物事を扱ってしまいますが、本質的には違っているわけでこの差異によって揉め事が起きたりしています。本来は違う、ということです。
サッカーのプレーでも、パスなんかでは良く「相手が取りやすいように」「思いやりがない」なんていう言葉が使われます。ここに疑問はありませんか?
パスを受ける人にとって取りやすいパスとパスを出す人が受ける際に取りやすいと感じるパスは同じでしょうか?テクニックやスピードに違いがある以上同じではないと思います。
なぜか、この感覚的なところを考えさせるようなコーチングが目立ちます。これは不可能です。絶対に違う!となるはずです。これを言っている大人はまた違う感覚を持っています。
だから「視覚」があります。見ればわかりますよね?どちらが広くなっているのか?相手がいるのか?ということは。三苫選手がサッカーの時にどんなことを考えているのか?という質問に「歩いているだけ」とある動画?で語っていましたが、そういうことだと思います。
学校に行くときに毎回誰かが交通事故にあってしまったという話は聞いたことがありません。基本的にみんな無事に辿り着きます。目で見ていますから、わざわざ車に突っ込んで行く子もいないと思います。
ゴールを観る、周りを観る、ことまた、イーグルアイ、と言ったりもしますが、コート全体の写真を撮りまくっているような状態になれば歩くことができると思います。
逆を言えば、オンザボールを見ればその選手がやっていることが見えると思います。何を考えているのか?などそんなことを考えるのではなく、見ればわかるでしょ。
感覚的なところは目で見えていないので、なんとでも言えます。ただし、目に見えているものはそれでしかありません。その視覚的な情報を自分の頭にインプットして自分の脳で処理(判断)し自分の体でアウトプット(行動)すればサッカーは誰でもできます。
何をやったら良いかわからない、という子もいますが「ゴールを取る」「ゴールを守る」これだけでいいんですよ。サッカーは点が多い方が勝つというルールで勝敗が目的のスポーツです。
自分の五感でインプットして自分の体でアウトプットする。そのために、アウトプットする体の性能を上げる、判断をするために脳に情報を持たせる、これだけです。