サッカーをやっている子で他人との比較をしていないご家庭はまず見かけません。どの家庭も他人と比較して競争をしていますね。いろいろなスクールに通ったり、陸上競技の指導を受けたりと忙しそうです。
この努力は「無駄な努力ですよ!」と伝えるとほぼ全員がムッとします。でもこれが現実です。
自己分析が甘過ぎます。まずご自身はオリンピック選手でしょうか?サッカーをやっていたなら代表経験はありますか?学生時代では県内で敵なしの運動能力を持っていましたか?何かにヒットするようならお子さんにも可能性があると思います。無いのであれば自分の子ですから単純に考えて難しいですよね。これを頭に入れる必要があります。
試合中怒鳴っている大人にも同じことが言えますね。無理でしょ?と。
どうしてもそれらが出来てしまうエリートを目標にしがちです。目で見えますから。でも、エリートは努力などしなくても努力をした非エリートを上回ります。これはどうしようも無い事実です。ドリブルが上手いエリート、キックが上手いエリート、トラップが上手いエリート、何でも出来ます。普通にしてても他を圧倒しますから、小学生年代で本気を出す必要などありませんのでのびしろもたくさん残しています。
エリートも同じレベルのエリートをぶつけると何もできなくなるケースがあります。これを見るのがトレセンでもあります。要するに弱いものいじめのようなことをしていた子と本当に強い子が別れて見えてきます。多くのケースではこの「弱いものいじめの構図」がループしているだけです。
だから、人よりも早く何かを身につけようと躍起になっているように見えます。でも最終的に勝てないのはわかりますよね?
結局はエリートでも「真似できないもの」に負けます。これを便宜上ここでは「個性」と言っておきます。
真似のできない身体能力、真似のできないスピード、真似のできない柔らかさ、という体の能力はエリートのみが持つものです。これも真似など出来ません。だから、これを真似ている人はいませんよね?
みなさんが真似しているのは、エリートが非エリートをドリブルでぶち抜いている姿です。そして非エリートはさらに運動能力が低い非エリートをドリブルでぶち抜いています。このために、時間とお金を費やしていると思います。
非エリートがエリートに対してドリブルを仕掛ければ簡単に取られると思います。反応、動き出し、などエリートは全てが速いですよね。
ここに気付くことができればアプローチは変わってくると思います。結局、最後の勝負で求められるのは「個性」です。世界最強の選手は遺伝子をいじらないと作ることはできません。
エリートが生まれつき持っている身体操作、運動能力は人体と重力の関係性の中で最も効率が良いものです。でも、エリートも非エリートも同じ人間ですよね?種を変えて考えれば「熊」は「熊」であって同じような能力を持っていると思います。持っていなければ生き続けることが出来ません。
人間も同じですね。同じエリートも非エリートも人間なので本来は同じような能力が無ければおかしいですよね?これがポイントです。
使われてないだけでポテンシャルはあるんです。なぜ、使われていないのかというと「環境」です。野生動物なら同じような能力がありますが、人間に育てられた動物が急に自然に戻されても生きていくことが出来ないと思います。
危ないからダメ!汚れちゃうでしょ!これをやりなさい!という環境であれば非エリートが出来上がります。
子供達は自分達だけで成長することが出来ます。人に教えてもらうのではなく、時間をかけて身につけていきます。その時間と環境さえ与えれば子供達のポテンシャルは戻ってきます。
こうやるだ!という「やり方や概念」に縛られて誰かと比べるでもなく「楽しい」という「感覚」を共有してポテンシャルを甦らせる、火曜日はそんな活動ですね!