自分というものはとても成長させるのが難しいです。大人であっても自分がない人もいます。自分をどのように定義するのかもとても難しいですね。「好き嫌い」という感覚自体が自分である、という定義なら、それはわがままな様子になります。
自分というのは、「文字通り自分が体験したことを無意識に活かす様子」だと思います。
五感によりインプットされた学びの蓄積により、ものごとの類似性や類推を通して判断して行動することができる様子が主体性であり、自立でしょうね。
塾に通ったり、サッカースクールなどで「やり方」を教わってしまうと、それは概念なので五感が刺激されません。誰かに何かを教えてもらうことは手っ取り早く成長しているようで、恐らく自分が育っていないと思います。
iPhoneにアプリを入れているのと同じです。osがバージョンアップするとハードがスペックオーバーになってしまいます。このハードが自分ということです。
だから、ハードを変えるような力が必要です。それが学びですね。五感を使うことです。
赤ちゃんで生まれた時には五感のみで生きています。いずれ概念を吸収するようになり大人になります。そして子供が産まれて五感のみの存在に触れます。そうすると自ずと五感を刺激されますね。夫婦喧嘩が始まると思います。お父さんは概念であり、お母さんは五感を刺激されることでより感覚的になるでしょう。そんなことを繰り返しているうちに今度は孫が生まれます。また五感を刺激されることになります。おそらく、子供の存在は大人というマシンを人という生き物に戻す役割があると思います。
さてさて、この自分というものが早くから鍛えられるとどうなるかというと、高校生でマンダラートを使い自分がどうすべきかくらいは考えることができると思います。
私にとっては普通のことですが、他の人にとっては普通でないこと、またその逆もあるでしょう。人は皆違うということです。
私はどうやら「アナロジー」を使いこなすことが上手いようです。初めてやったことでも大体できます。なぜかというと、自分の体験から類推して理解することができるからです。
「学校に通学するだけでサッカーは上手くなる」
ずっとこれを伝えていますが、いまいち理解されません。学校に行く過程とサッカーは同じです。これはアナロジーですね。
では、どのようにアナロジーを身につけるのか?というと、、、ここがそういう活動ですね!
まずは、何も考えることなく行動できること、次に自分の体験を活かして類推すること、これが出来ればかなりの時間を作り出すことができます。
サッカーの試合で得点をとっているのはテニスプレーヤーです。何をやっても全てが伸びます!そういうことです。