2023シーズンの4種リーグはこの日をもってティエラ対戦分は終了しました。半年間にわたって体格的にもキャリア的にも格上の相手に対してよくやれていたと思います。
最終日は相手チームや周りの大人達が引くほど私も子供達と闘いましたw
今までは、スポーツという視点から楽しむこと、いろいろな失敗をすることを優先してきました。半年間、いろいろな体験をしてスタートの時よりは成長を遂げた子供達を少し試してみたい、6年生は最後の公式戦になるので、受験など戦わなければならないシーンも出てくるのでメッセージを送りたい、そんなことで大恥をかいてきました。
スコア的には3年生もいますからどうにもならない面はありますが、このチームの子達は10点取られても1点を返す力があります。サッカーの視点から見ても、チャレカバ、ファーストプレス、スライド、ブレイク、開放、突破(チャレンジ)、などはB級指導者として合格点を出します。体格や技術が伴えば勝てる試合もあると思います。
さて、サッカーには大きな勘違いが存在しています。サッカーだけではなく世の中全体ですね。それはテクニック至上主義を見れば一目瞭然です。
「価値があるから質、技術が求められる」
これがおかしくなっています。簡単に言えば100円ショップの影響かもしれません。価値が低いもの(素材)に質や技術、機能をのせているものの典型です。ファストファッションも同じですね。これに慣れ過ぎてしまったのでしょうか。
サッカーにおいての価値とは「人」にあります。その「人」は人の域を超えている何かを持っています。これが「価値」です。だから、その「人」をトレーニングして質を高めれば市場価値が生まれます。
でも今はどうでしょうか?「人」としての価値が明確でない状態の子が一生懸命に質を高めています。そして大人もそこに投資を促し保護者達は投機をしています。人の価値なんかお金で買えるわけないですよね。大きな勘違いです。
では人の価値とは何でしょう?これは「エリート」を見ればよくわかります。
「自分」が明確です。
大谷選手が高校生の時に書いたマンダラートが有名ですが、あれは「自己分析」が出来ているからです。自己分析をするためには自分を客観視する必要がありますから、自分という存在が不可欠になります。
自分というのは「主体性や自立」という言葉に置き換えられるかもしれません。自分が動き、自分が決めます。なぜなら自分がそう思うからですね。
大人達が干渉していれば、当然、自己を形成することはできなくなります。これは過保護であり、上で書いたような質を求める投機を指しています。
早期教育が上手くいかない子は自分がないからです。エリートは自分があります。この差ですね。
何かにつけて親を頼っているような状態の子がエリートの真似をしても出来るわけありません。ちょっと厳しい言い方をすれば、これも親が自己分析できていないから起こることである種「蛙の子は蛙」ということです。
ここがわからなければ、まず子供達はスタートラインにすら立つことが出来ません。人に使われる道具、100円ショップの商品のような人になります。そうなるように育ててます。これはアナロジーです。
「闘う」という前提には「自分」と「自己分析」という2つが不可欠です。大体これがないので怒鳴られてしょげていますし、Bチームや補欠が生まれます。周りの大人が救ってあげる必要があります。サポートが必要です。
ちょっと、比喩的な表現で「闘う」を説明します。
プロサッカー選手はライオンです。ライオンは何もしなくてもウサギに勝てます。弄ぶことも簡単に出来ます。これにはロジックはありません。ライオンだから、ということです。だから、ライオンではない子がライオンに何かを教わっても全く意味がありませんし、言っていることがよくわからないと思います。
それはそうですね、違うのですから。
元プロサッカー選手が教える、というのはジュニアのサッカーという視点だけに限定して見ればあまり意味がありません。まだ牙を研ぐ段階にありませんよね。我々と同じく、元プロ選手側にも人となりや育成能力が問われます。でも元プロ選手に触れて体験することは大きな意味があります。
もう、お分かりかもしれませんが、例えばウサギがライオンに生きる術を学ぶことはできません。ウサギはウサギにそれを学ぶことが出来ます。また、自分がウサギだとわかっていればやりようがありますが、それがわかっていなければ何もやることが出来ません。これが自分を知る状態です。そして、自分は親から生まれているわけですから、それを教えてあげられるのは親しかいません。親が他人に託している状況はかなり不味いと思いませんか?結果として他人に作られているのは100円ショップの商品達です。
この自分というものさえあれば、あとはそこに概念(テクニックや考え方など)をぶつけるだけです。自分で咀嚼して自分の身にすれば良いだけです。要するに「食事」と同じで、自分で食べる力が求められます。
ライオンとウサギがライオンの土俵で戦って勝てると思いますか?そういう状態で、大人達は「頑張れ!負けるな!」「努力が足りない!」と言っています。
そうではなくて、ウサギはウサギの土俵があります。そして種を超えて戦うこともあります。それは子を守る時です。
この「子」を「自分」に置き換えれば闘うことが出来ます。「自分のプライド」を守るために闘います。自分がなければプライドもありません。
ティエラの子供達は闘いました。
「己のプライドをかけて!」
ということは「自分」があるわけですね。なぜ自分があるのか?それは五感を使い学習をしたからです。これはいろいろな体験を指しています。なぜ、そんなことをしたのか?それは私がそれを体験してその効果を知っているからです。
「蛙の子は蛙」
大人が自分で体験して身につけているもの以外は子供に教えることが出来ません。何か調べたり、見たりしたものは自分の身になっていませんのでアウトプットすることはできません。
そして自分に体験がないと環境を選ぶことも判断することも出来ません。ライオンの檻の中に入れられているような子供達には可能性があります。
考え方の問題かもしれません。ライオンになろうとするのでなく、そして憧れるのではなく、自分でいいじゃない?自分を最大限に活かせば他人に勝つことが出来ます。育成で引き出すのはここですね。