そんなことはできて当たり前!このような思い込みは育成において大変危険です。
「子供は小さな大人ではない」
サッカー協会の指導者講習会ではこのような言葉を頂きます。まさにその通りです。
当たり前ではなく、子供達には欠如した「当たり前」がたくさん存在しています。これらは本人、保護者には気付くことが出来ません。そう、無いのが当たり前になってしまっているからです。
これを解決する手段は、他人との自由な交流に他なりません。
要するに「遊び」です。
こんな当たり前のことにすら気が付かない大人がたくさんいることに驚きます。
自由な形の自分を他人にぶつけると何らかの感情的なリアクションが生まれます。それを感じ取る、またはそれを解決する、これらは全てにおいてベースとなる能力です。ここで、好きでは無いから関わらない、という判断が生まれて避けているようなら育成は失敗です。
何もなく、過ごしていって本当に勝たなければならないシーンであっさり「ダメじゃん」と気付くと思います。もしくは全くそのようなシーンに至らなく気付く機会が一生ないかもしれません。
残酷ですがそういうものです。
見えていない、見ることが出来ない、そうなるとやることが違う、という「無駄な努力」になってしまいます。
大人がファッションのように着飾るように子供の育成に関わってしまうと時代遅れな服は捨てられてしまう、ということになります。
目の前の自分の子が試合でスタメンで活躍している裏には、試合に出れず活躍できず惨めな思いをしている親もいます。このくだらないマウントの仕組みから脱却しないとそれは未来の自分の姿であり負け組になります。
普通と言いたい平均的な人たちは人口の9割を占めいるそうです。絶望的です。
1割の存在になってしれっと良い人生を送った方が良いのではないか?そう思います。
おそらく9割の人はこの記事を読んで腹を立てるでしょう。私は本気で子供達に良い未来を獲得して欲しいので繋がりたいのは1割の人とその予備軍だけです。