よく自分の子供を見ていて”なぜやらない?”とイライラすると言う保護者がいます。もっとやれよ!と思うのでしょう。
確かにその通りです。しかし、やらないことに対してやれよ!と言うのはナンセンスです。
ではなぜやらないのでしょう?ここを分析して変えていかないと他のことも結局やりません。
すごく簡単に説明すると「こうやりなさい」というやり方に”納得していない”または“能力的に出来ない”のが原因です。頭で納得できない、もしくは頭では納得しているが体がそのように動かない、このどちらか、もしくは両方です。
やり方、を設定すれば優劣がつきます。
出来る子はできるが、出来ない子はできない。
このような結果が自ずと出ます。だから、出来る子は伸びるでしょうけれども出来ない子は伸びません。
この出来ない子は生まれる前に与えられたのではなく、生まれてから獲得していかなければなりません。これが”体験”です。
1番やってはいけないことは、早期教育です。
これは出来ないくせに”やり方”だけを押し込んでしまう行為です。出来たように装えますが出来ていません。やり方、が上手くなっただけです。
学校はいろいろなやり方、考え方を学ぶ場です。
習ったやり方を使うことが出来ればテストで良い点を取れるでしょう。
一方でスポーツは”やり方”を見つけるものだと思います。
勝敗など結果を求められる一方で、どのようにやれば良いのかはルールとして設定されていません。
こうやるんだ!そんなのはスポーツではありませんね。
どうしたらそのような結果を得られるのか?自分で考えて方法を見つけていきます。そのためには難易度を個々に合わせてあげる必要があります。
サッカーの国際ルールというものは、プロも使うものです。そしてプロがルールを超越することで変更されるものです。このルールで小学一年生がサッカーをやる意味がありますか?
ルールは平等性を確保するためのものです。楽しむために平等もへったくれもありません。必要なのはただ一つ、自分と他人との関係性、コミュニケーション能力だけです。
自分が思った通りにやること、そしてそれに対する他人のリアクションを体験すること、その先にルールというものが出てきます。
最終段階のルールに初めの段階で型にはめてしまえば、、、なぜ積極性が生まれないのでしょうか?