手でボールを持ったら、それはサッカーではない!と小学一年生でも声を出します。
なぜサッカーではないのでしょうか?
彼が言っているのはルールの話でしょう。それではルールとはなんでしょうか?そしてルールはサッカーなのでしょうか?
この辺が整理されていない子供達でも、そんなのサッカーではない!という言葉を出してしまうことに恐ろしくなります。これは洗脳です。
ルールとは”平等”を確保するために必要となる条件、約束のようなものです。なぜそのような条件が必要となるかというと”勝敗”を決めるためです。後でケチがつかないようケースごとに認めることと認めないことを設定しておかなければなりません。
ルールというのはサッカーである、これは合っているようで間違っていて、間違っていて合っているようなものです。もう少し整理すると”サッカーで勝敗を決める”ためにあるものです。
では、勝敗を決めなければどうなるでしょうか?
特に認めることも認めないことも存在しなくなります。相手が嫌がればやるべきではない、という感じです。
サッカーはルールではありません。明確に分けるのならばルールは勝敗です。そしてサッカーは4局面です。
だから、ルールに囚われず4局面を体験することがサッカーが上手くなることへの近道になります。
ルールの中にある、やり方やテクニックの質を上げれば勝敗においては有利になるかも知れません。しかし、それはサッカーで勝敗を決するだけの話ですのでサッカーが上手いわけではありません。この辺りが世間の人たちに伝わらない部分です。
もしもサッカー選手として飯を食いたいのであれば、当然のことながらサッカーが誰よりも上手くなければなりません。そのサッカーの上手さによって勝ちに影響を及ぼすことができる人がサッカー選手として飯が食える人となるでしょう。
勝ちに影響することができる人もサッカーで飯が食えるかも知れません。これは誰かに必要とされ雇われる状態です。誰かというのは監督やチームです。
一方でサッカーが上手い人を求めるのは観客ですね。