目を開けて視覚的に情報をとらえると人は他人のアウトプットした姿を目撃することになります。その姿が例えば、良いのか?悪いのか?というように何らかの”ものさし”で比較されがちです。
目の前の人より勝っている姿があればそれで良い、というイメージを持つかもしれません。
しかし、これは単なる現象です。
相手が変わればその結果である現象も変わってしまいます。仮に相手を想定してテクニックの質を上げたとしても相手が自分より優れたスピードを持っていればあまり役に立たなくなります。
見なければならないのは、その視覚的な情報を数学的にいうと”因数分解”した結果です。
その現象の構成要素は何ですか?
これが見えてこないと的確なアドバイスをすることはできません。
小学1年生に対して6年生がスピードを生かして勝っている姿を見て”優れている”という評価を贈るでしょうか?逆ならどうでしょう?小学1年生が6年生をスピードで圧倒する姿を見たら”優れている”と評価するでしょうか?
なぜ、目の前の現象が起きているのか?その原因を見極め、その現象を評価しない限り成長機会とはなりません。
相手は毎回変わります。同じ人でも成長するので多少変化します。誰であっても何とか出来る人が優れている人です。この能力は何でしょうか?
これには訓練が必要です。一度自分を破壊され再生された時に見えるようになってきます。言い換えれば、挫折を乗り越えることですね。
指導者たちはこのような機会に恵まれています。おじさんがおじさんにいじめられ、全てを否定させたかのように全てを失います。そこからまた、再建していきます。このようなことをB旧講習会では1年間繰り返しました。この体験は非常に大きな価値がありました。傷付くことから逃げているようでは絶対に見ることはできません。
このような目で見ると、およそ大成するかどうかは分かります。この子はこの先怪我をしてキャリアを終えるだろう。この子は中学生の時に挫折を味わうだろう。この子はこの先伸びていくだろう。原因のところを見れば予想がつきます。
視覚的な情報という点で言えば、もう一つ気になることがあります。
パスをもらうために”へいへい!”と呼んでいる子は何をしているのでしょうか?
全く理解していないんだろうと思います。
この行為は、人のアウトプットに干渉する行為です。今風に言うと”ハラスメント”です。ボールホルダーは視覚的な情報を使い何らかの行動を起こしていきます。そこに他人が干渉してしまっては行動を変えざるを得ません。なぜこのような現象が起こるのかと言うと”勝敗”があるからです。
呼んでる方、呼ばれている方、どちらも伸びませんね。
呼んでいる方は的確なタイミングで最適なスペースへ飛び込んでいけば良いだけです。そして呼ばれている方はゴールを見れば良いだけの話です。目的が得点であり、そのためにゴールに近づこうとしているのであればパスは出ます。
へいへい!後ろに下げろ!要らないですね。
選手が得るべき情報は視覚的なものです。スタジアムも歓声で声は聞こえないと思います。使えるのは視覚の割合が大きくなることになります。
さて、何になりたくてサッカーをやっているのでしょうか?スタジアムに立ちたい!ということなら、ね。