よくサッカーの現場で聞こえてくる、前を向け!プレス!自分でやれ!というのは間違ったコーチングです。
それが間違いであることに気付くためには、指導者が何歩か前進する必要があります。私も過去ではそうでした。でも進めばそれが間違いであることに気が付きます。
周りが分かっていてもいなくても、簡単な話として本人の好きにやらせておけば良い、というのが答えです。
ストリートサッカーが最も学びのある良い形でしょう。
自分が分かっていない子に何かを教えても無駄です。自分で自分に気が付かない限り、歴史が生かされることはありません。生かされているように見えるのは、本人より弱い相手と闘う時だけです。
主体的になり自立すれば、やりたいこと、いわゆる”目的”が生まれ、そのためには準備や片付けが必要になってくることに気が付きます。この一連の習慣を繰り返し視覚的に捉えることが出来れば人生という旅に出発することが出来ます。
多くの人は、その場に留まってそこにいる人達と何となく過ごす形になっています。だから、サッカーが上手い、下手、という議論が生まれます。このような生き方は、これからの世界では苦労すると思います。なぜなら、これらの最良の形がAIであり、ロボットだからです。
結果がある競走の頂点は揺るぎないものが勝ち取ります。
人は旅をした方が良いです。かつての縄文時代のような暮らし方から弥生時代のような暮らし方へと変化が起こり、以後土地の所有権などをめぐって争いごと(競走)が生まれていきました。今の世はその競走の限界が見えてきているように思います。
おそらく、AIやロボットが競走に対して強引な形で終止符を打つと思います。
各々が目的を自分で決め、そのために準備し、そして行動し、片付けを行う。これでは皆違うので競争が生まれるわけありません。結果が定まっていないのでAIやロボットには対応できません。
この習慣に気付き、身に付けることができれば人生の旅に出ることが出来ます。サッカーは局面のサーキュレーション、言い換えれば習慣です。
何でも人にやってもらい、教えてもらえると思い、それが合っているのかいないのか、自分で判断することが出来ないのに従うようでは一生をルールという枠の中に閉じ込められてしまいます。
ルールの中であれば競争が生まれそれにはある程度の答えがあります。それを突き詰めれば競争に勝てます。それが日本のサッカーであれば町田ゼルビアではないでしょうか?
ルールからの逆算では皆同じになってきまいます。自らが答えを出しルールの枠の中で変化させていけばそれは誰も見たことがないサッカーとなります。
ストリートサッカーばその体験機会です。
サッカーのルールの中に閉じ込められた人なのか、人がサッカーの枠の中で遊ぶのか、この差ですが、かなり大きな差です。