花火を題材としてこのようなタイトルのアニメ映画があったような気がします。
下から見ると見上げる形になります。地面に立っている人が空を見上げますので、かなり多くの人がそれを見ることになります。
上からみると空中に浮かぶ必要があります。物理的には、気球に乗るのか、ヘリコプターか、セスナか、という何らかの乗り物のサポートが必要です。
多くの人は下から見ています。そして一部の人は上から見ています。
下から上を見る場合、誰かが何かを見つけたらみんなが気付き一斉に見ることになります。あっUFOだ!みんな見ます。
上から下を見る場合、誰かが何かを見つけたら見つけた本人だけが気付き拾い上げることができます。あっお金が落ちてる!気付いているのは自分だけです。
このように、下から上を見る場合、これはみんな見ることができ、それを欲するのであれば競争が生まれます。
逆に上から下を見る場合、これは自分だけが気付き欲しければ拾うこともできます、
これをアナロジーとして活用すれば、何となく普段言っていることに疑問が生まれてくると思います。
人より努力しなければならない、あの子よりもドリブルが上手くない、など、下から物事を見ていればいくらでも不満は生まれます。それだけで遅れているわけでたくさんの人が上に見えて焦っているのでしょう。
でも、そのみんなが目指しているものは、上から見たら単なる点です。よく宇宙から地球を見た時に日本の夜景が明るい、などと取り上げられたりします。
上から見たら”へぇー綺麗だね”で終わりです。しかし、下から見たその明かりの一つでは”何やってるんだ!資料を作り直せ!”となっているかもしれません。
下から見上げる人生はとても窮屈ではないでしょうか?これは経済的な話ではありません。別に経済的に裕福でなくても上から見ることはできます。
これらをサッカーに置き換えれば良いだけなんですよ。
サッカーは人生や社会全体から見れば単なる点です。その点を下から眺めて競っていても上から見たら単なる点で、その点の下に興味はありません。
なぜサッカーを地上波で放送しないのでしょう?サッカーの外にいる人達からするとどうでも良いことを、あーだこーだ、と言っているからですね。戦術?フィジカル?オフサイド?どうでもいいです。時間を割く価値は見ていて楽しいかどうかです。
トレーニングも同じです。下から上を見てせっせとドリルトレーニングをしても無駄です。上から下を見ないといけません。単純に言えば、運動能力の高い子が、メッシのプレーを見てこんな感じ?と再現し、じゃーこうしよう!と発展させれば良いだけです。
なので、トレーニングを一生懸命やってもサッカーは上手くなりません。サッカーが上手い人がトレーニングをすれば活躍できます。逆ですね。
だから、ティエラでは”ハイハイ”でサッカーをする時間を設けています。この現象は知識がなければ全く読み解くことは出来ないと思います。一般的には”何やってんの?”で終わりです。私は世の中に聞きたいです。
何やってんの?と。