世の中、あまりにも的外れです。
目で見たものを真実と思い、それに向かい邁進していきます。努力が足りない!そんな声も聞こえてきます。私から言わせると無駄な努力です。努力して報われなければ挫折します。この挫折は人生においてとても大きな損失になります。
もうやらない!
こうなったらおしまいですね。目で見えているものは確かに現象として存在しています。
しかし、それらの特徴はなぜか同じように見えてしまいます。例えば、ドリブルのテクニックはどうですか?みんな同じようなトレーニングをしていると思いませんか?これはなぜでしょう?
そう見えるからでしょうね。
それでもって、それで合っています。
謎が深まりますね。あなたの顔と隣にいる人の顔は同じですか?双子でなければ違う顔をしていると思います。
この”そもそも違う”ということを理解しなければなりません。
呼吸の仕方、食べているもの、生活習慣、趣味、など違いますよね?変えられないものとしては、DNA、家柄、親、生まれた国、などは変えることができないものです。
今の時代は”親ガチャ”で結果が決まります。
本人の問題ではありません。親がどのような人物なのか?これによって決まってしまいます。なぜでしょうか?
これは簡単です。変えられるものを変えずに早期教育で概念を詰め込んでいるからです。そこにあるのはベースの差だけです。
ドリブルを習いに行っている子たちは”センス”がありません。全く何も理解していないと思います。分からないので伝えても無駄でしょう。センス、それを感じ取る感覚がないんです。このような場合は諦めた方が良いでしょう。努力しても何も起こらない人生になってしまいます。
ドリブルで触る部分を強調したり、一連の動作としてトレーニングしている人達は全く何も分かっていなんだと思います。
”相手”がなぜ自分の支配下にいる想定なのでしょう?
自分の頭で考えたものがなぜ相手に通用するのでしょうか?自分よりよく多くのことを理解しているという想定が抜けています。やっているのはあくまで自分より能力が劣る相手に対するものです。これを言い換えれば単なる”暴力”です。頭、思考が抜けています。
相手を見て初めてやることが決まります。そのためには判断できる体制が必要ですね。下を向いてボールをこね繰り返しても意味がありません。
それこそ、生まれ持った能力”親ガチャ”の結果です。
ソクラテスが”不知の知”ということを説いています。知らないことを知らない限り、子供は育成できません。なぜか、何もやってない割に高圧的な大人がたくさんいます。
センスがありません。