出来ないことを出来るようにしたい!
これは誰しもが思う希望かもしれません。しかし、出来ないことは出来ません。これは能力がないからです。そもそも、能力が足りていれば出来ます。
では、未来でも出来ないのか?というとこれは誤りです。要するに能力が無いのであれば能力を獲得すれば良いだけです。
だから能力を身につけます。ではこの能力はどのように身につくのか?動物を見てください。動物たちは何かトレーニングをしているでしょうか?そんなことはありません。生きることによって能力が磨かれていきます。
これは人も同じです。生きることで能力は磨かれていきます。では生きるとはどういうことか?これは簡単な言葉で表せば自立です。過干渉の親が近くにいれば一生かけても能力は身につくことはありません。また、何かお金を払って効率的に得ようとしても能力は身につきません。
そこで獲得できるのは他人よりも多くそれを体験してそれだけは慣れたという状態です。残念ながら本人の能力には全く変化はありません。サッカーのドリブルだけを反復して算数の成績が上がったのであれば能力を得ることが出来たと言えるでしょう。そんなことはありませんね。
物質の最小単位である量子は自由に振る舞います。しかしながら観察者を置くことでその振る舞いは想定通りのものとなります。人も言ってみれば量子の集合体にすぎませんので同じです。この辺りはまだ解明されていないかもしれません。
とにかく、人が持っていない能力を得るためには自由が不可欠です。制約なくいろいろやってみて得たものが咀嚼され能力として獲得されていきます。出来ないことが出来るようになるのは努力した結果ではなく自然です。
出来るようになったら、さらに結果に対して効率の良い形が存在しているものであれば教えることが出来ます。
この辺りを全て端折って出来ないことを何か方法論的に出来たように見せる、というような中国の土産の菓子のような偽造が行われています。箱だけ大きくて窓のところに菓子があり見えないところには菓子がない、これがここでいう中国の土産の例です。
ドリブルなんかもみていますが、ドリブルを習ってやっている子は2人目、3人目でぶつかります。これは方法が追いつかないんでしょう。しかし、鬼ごっこをたくさん経験した子はスルスル抜いてしまいます。この差が出てからでは間に合いません。
本当に保護者の方はよく考えた方が良いです。
リフティングができないから習う、ドリブルが下手だから習う、ではなく単に自分の子の能力が無いだけです。出来ないんだからしょうがないじゃん、というようにまずここに向き合い、本人の歩調に合わせてサポート出来る保護者の子だけが結果に近づけます。
育成は大人の我慢強さ、賢さ、知識、含め人間力が試されます。成功への道を開くためには早期に子離れし指導者に預けることが必要だと思います。完全に一般の人には乗り越えられない壁がありますので、この壁を乗り越えた人に預けないと無理です。本気であれば。