サッカーって何ですか?
こんな簡単な質問でも答えられる人はごく少数でしょう。サッカーって何?となった時にドリブルなどのテクニックや戦術が思い浮かぶ人、またはボールを足で扱いゴールを取るなどを思い浮かべる人がいると思います。
確かにそれもサッカーでしょう。
ただし、これらはサッカーに関する情報ですね。要するに誰が評価してもそうだ、という定義されたものです。
サッカーとは何か?これはとても難しい質問です。なぜなら、私の答えは他の誰とも同じ答えにならないからです。
サッカーをやることで、楽しい、なぜ楽しいのか?それは友達が転ぶなど少しドジなシーンがあるから、という理由かもしれません。ボールを扱いうまく相手を抜いた時に気持ち良い、と感じるからかもしれませんし、相手をパワーでねじ伏せたり、知略でハメ切ることが楽しいと思う人もいるでしょう。こんな感じでそれ人によって異なります。
そしてこれらは何かを食べた時の感想にも似ています。イチゴを食べたら美味しいと答える人もいれば、不味いと答える人もいます。そしてそれはなぜ美味しいのか、練乳に付けるから、という理由もあれば、みずみずしさを評価する場合もあります。そしてこれらは一つの理由ではなく複雑にいくつかの要素が絡み合って生まれるものです。
要するにサッカーとはそういうものです。
そして、これは人によって異なります。だから、何かを教えることでサッカーが出来るということはそもそも間違っています。少年サッカーの現場を見ると楽しそうにサッカーをしている子はとても少ないです。
大人が、あーしろ、こーしろ、と声を上げ子供たちはそれに従います。これは怒られたく無い、という心理かもしれませんね。さてこれはサッカーでしょうか?
ここまで読めばわかると思いますが、日本の少年たちがやっているのはサッカーではありませんね。サッカーのルール、もしくはテクニック、戦術、というようなモノサシに合うように自分を調整しているだけです。しかしながら、そのモノサシも大人の体験をぶつけているものなので合っているのかさえ怪しいものです。
物事をしっかり捉え、理解すれば週末に時間とお金を使い、そしてストレスを溜めて一体何をしているんだろう?と気付くと思います。
何だかよくわからない基準で、ハラスメント気質で努力を強いるものを私は知っています。それはブラック企業というものですね。
一体何を育てているのでしょうか?
大人がお金を得るために子供たちに本当のサッカーをさせず、何かよく分からない基準を作り、また持ち出し競わせる、子供の人権を軽く見過ぎですね。
子供達一人一人サッカーと向き合い自分なりのサッカーを見つけるべきです。その上で再現性のある現象にフォーカスし教えてあげれば良いと思います。
だからティエラでは、まずサッカー、これはゲームですが、それを楽しむためのコツを遊びながら身につけ自由にサッカーしてもらっています。
これがはじめの一歩ですね。