大人は子供達に何かを教えようとします。しかし、その内容は大人が教えなくても子供達が自力で得ることが出来ます。
大人が教える内容は自分の経験に基づいたものが多くこれはその人個人の感想のレベルです。みんながそう思う、というような平均を持ち出すケースもあります。多くの人がそう言っているから、というものですがそれも間違いです。
平均で得られたものは存在しません。2つのものがあったとして上と下その間が平均です。だから、平均というものはあるようでありません。
では何を軸にすべきか?それは変わらないものです。何かものを落とせば地面に向かって移動します。この現象は特殊な条件でない限り地球上で起こります。ボールはいずれ落ちるということですね。
このような現象は目で確認することが容易です。また、他人に対して何か余計なことをすれば他人は何らかの感情を抱き行動も生まれます。これもやれば分かります。
こんな感じで、子供達は自分で変わらないものを見ながら、または感じながら自己成長を続けています。
そこに大人が登場します。
喧嘩をしていれば「やめろ」というかもしれません。なぜでしょう?
喧嘩は良くない、という抽象的な理由ではないですか?喧嘩をするのには原因があります。その原因は本人達がよく分かっています。そしてそれを原因として喧嘩が起こり何らかのダメージも受けるかもしれません。これはリスクマネジメントの能力に影響します。自己責任の範疇です。
少し前にバイトテロというような言葉がありました。なぜ彼らはその後を想像することが出来なかったのでしょうか?それは例えば喧嘩を体験していないからでしょう。なぜ体験していないのか?それは大人がリスクマネジメントととして辞めさせたからではないでしょうか?
子供達は自分達で考え自分達で行動します。リレーをしたり、鬼ごっこをしたり、話し込んだり、いろいろやっています。自分がやりたいことをやりながら何かをやるとなればまとまり楽しむことが出来ます。
ある時が来るまで大人は見守るだけです。