次の学習指導要領の提言の中に放課後の時間を増やすというようなことが盛り込まれているそうです。以前にもありしたね。ゆとり教育というものです。当時は社会がそれを受け入れるだけの知識を持っていませんでした。今度はどうでしょうか?いい加減わかっても良いと思いますが。
何かをやってみればわかります。
例えば、コートの脇で何かを叫んでいる指導者、保護者、彼らは40分ハーフの高校生の試合にでも入れてみましょう。
おそらく何もできないと思います。それどころか走ることもできない、声を出すこともできない、恐怖に打ち勝つこともできない、自分を鼓舞することもできない、サッカー以前に誰でもやればできることさえ出来ないと思います。
高校生がシュートを打とうとした時に飛び込む勇気を持てるでしょうか?顔面に当たるかもしれませんね。でもこれはサッカーが上手いとか、下手だとか、そんなこととは無関係ですよね?
やったことがない人は、やれば分かることを理解していないのでネガティブに口が動きます。
何かしら自分でやり遂げた人に共通するのは哲学を持っていることです。サッカーの指導者ではフィロソフィーと言います。選手であれば自分のストロングポイントですね。
ストロングポイントを他人から学び身につけよう!という表現はハッキリ言ってメチャクチャです。当たり前ですが、自分という存在が唯一無二である以上、その自分のストロングは自分以外から生まれることはありません。
これを育てるために必要なのは、時間とトライアンドエラーと自由です。言い換えれば遊びです。
何かを比べて上手いだとか、下手だとか、語る前にそんなことはどうでもいいから楽しもう!という膨大な時間の先にストロングポイントは姿を表し始めます。
大人になって自分探しの旅で出よう!何でコピーに飛びつき旅行に行っているようでは話になりません。
大人であれば、自分があるのが当たり前です。普通という定義は曖昧です。自分の体験にとって当たり前のことを普通と言いますが、周りがそれと同じというわけではありません。
なぜ勝てないのか、何となく見えてきますか?