子供達が夢を持ち主体的に行動したとしてもそれを受け皿とするユース年代の受け皿がない。
せっかく育ててもそれを受け入れる側に覚悟がなく子供達が羽ばたくための力を蓄えることができない。むしろ羽は傷つき飛べなくなってしまう。
これでは話にならない。
私は本気で作ろうと思うその受け皿を。これではダメだ。自分が被害者になり胸が痛くなるとは具体的にどこの部分なのかよく分かる。そして映画で描かれたジョーカーの心理もよく分かる。
でも進まなければならないし、子供達には道を作ってあげなければならない。これが私の人生を賭けてやるべきことなのだろうか。
今は子供達の笑顔が眩しすぎて見ることができない。
歯を食いしばり、自分の体験したことを活かし、なりふり構わず進むしかない。酸欠が起き、視野がなくなり、でもボールを追いかけ、ゴールを目指す。サッカーの時と同じように。