子供達は自然に遊んでいます。自由に遊んでいます。そうすると、あそこには泣いている子、ここには転んでいる子、そっちでは喧嘩している子、といろいろな様子を見ることができます。
自由であること、自然であること、はどのような状態であるか、理解しているでしょうか?
自然の世界とは”死の世界”です。
子供達は擬似的に死の世界にいることになります。そして危険に直面した時に人は何をするのかというと団結します。
危険な生物や何か捕食するためには人はコミュケーションを取り、目的を決め、行動を始めます。
自然の中に不自然な状況がここに生まれました。
要は、不事前な状況とは不自由であり、他律の世界です。これは”生の世界”です。
死の世界の中で、生の世界を作り出すこと、これがティエラで反復していることです。
生きる力を育てることが目的です。そしてサッカーはこの生きる力が強い人がやることでとても面白い表現をすることができるスポーツです。
自立や主体性を他律をもって教えようとするのはあまりにも無知です。
自然というものを理解して、そこで生きようとした時に何が必要となるのか?楽しく遊びましょう!というメッセージは人によって受け取り方が異なります。
自由に遊ばせる、というのはある視点から捉えると最も厳しく残酷な行為にも映るかもしれません。全ては成長のためです。