今回はトレーニングとして計画したものは一切できませんでした。なぜならば、プレーヤーがそれを望まなかったからです。
ティエラではサッカーを文化として捉え、そのためにはプレーヤー、言い換えればサッカーをする本人が希望して取り組むものを優先します。
もっと上手くなってほしい!という希望を持つのはそれをみている保護者や指導者側の方で本人ではありません。
上手くなりたいのであれば比較が必要です。何かと何かを比べ優劣が着く、だから何かを改善したいという流れが自然です。
これは比較による動機ですね。
比較というものは物差しを合わせる必要があります。50mという距離を合図とともに走り出し早く通過した方が速い、というルールのもと比較することで優劣が決まります。相手に勝るために何かを身につける、というのが比較による動機で、ここにはルールが存在します。
もう一つは目的に由来するものです。
デイエラではこちらを重視しています。何か目的を定めそれに対して実行する、それが上手くいったかいかなかったか、で優劣を自分が決めます。もっとこうしよう!とかここを直そう!ということで何かを身につけようとします。
両者には大きな差があります。
それはルールを誰が決めたのか?という点です。比較するために設定するルールは他人が決めています。これは他律的な動機です。
一方で目的に対するルールは自分が決めています。自分が決めたことを自分が実行していますのでこれは自律的な動機です。
だから、「やらない」を認めています。
私がルールを設定すればそれは他律的な動機です。比較が生まれてしまいます。しかし、自ら決めたものであれば自律的な動機が生まれていきます。
いま何を身につけるべきか?というところが重要です。