世の中は出来ない人、分からない人を中心としてそれに対して経済、ビジネスを当てることで回っていきます。
教えるとは?塾のような様子ですかね?
それはビジネスです。だから分かっていない人に向けられています。
ではゾーンにはどのようにして入るのでしょう?入り方を知っていますか?
私はゾーンというものに当たるのか確認する手段がないのでそうとも言えませんが、おそらくそんなものだろうという領域には入れます。
どうやるのか?これは簡単です。頭を悪くすれば良いだけです。IQが120だとしたら90くらいに落とすイメージです。そうすれば入ります。
ではIQ120からIQ90へ脳を操作することが出来ますか?あなたは出来ないでしょう。しかし、出来る人もいると思います。
このように人は見た目は同じように見えて実は違います。
勉強の仕方はどうやるのかご存知ですか?まさか忍耐を求めることが勉強だなんて言いませんよね?これも知っている人は知っているし知らない人は知らないんです。
そして、知っている人はそれが当たり前なので特に人にいうこともなく他人もそれを知らないのが当たり前なので触れることもありません。
でも親は子にそれを自然に与えることになります。
どうして差が生まれるのか?これは当たり前の話として知っていることに差があるからです。
教えることとは?そしてそれを受ける側として教わり方、なぜ話を聞く子と聞かない子がいるのでしょうか?
何も知らずに努力をしてもたどり着くことはできません。無限ループにハマっている人がほとんどです。ソクラテスは「無知の知」という本質的な答えを言葉として残しています。自分が知らないということを知ること、これが重要です。
自分のスケール、主観で全てが測れるわけではありません。
サッカー選手とはどのような人物なのか?そしてそれはどのように育てるのか?知っていれば導けるし知らなければ導けません。
サッカーのテクニックを教える?戦術を教える?かなり不思議なことを言っています。
小学生は何かを詰め込むのではなく脳と体を育てた方が良いです。無知の知ですね。