オモチャを持ってきて見えてくれています。この子達は自由ですね。
現在、万燈祭りの出店に向け内容を詰めています。何をやり、いくらで、どのように提供するのか?ベネフィットがどこにありそして利益は出せるのか?結構難しいことをやっていますが、ティエラでは脳をトレーニングしています。
脳を先に鍛えてあげないとトレーニングができません。やれと言えばやるでしょうが、主体的にではないためやらなくても対して結果は変わりません。
結果をひっくり返したいならそれなりに準備が必要です。人はスタートラインが違います。だからスタートラインを揃えてあげることが大人に出来ることでやるべきことです。
スタートラインが違うのに努力すればできるなど無責任なことを言ってはいけません。
生まれつき目が見えない方、足が不自由な方、いろいろな方がいます。同じではないのです。だから、誰でも同じ位置からスタートできるような社会であるべきです。
ここにいる子供達は運が良く、見た目にも能力的にもハンディキャップはありません。
なら、スタートラインに着かせることも大変ではありません。大人が知恵を使いエスコートしてあげれば良いだけです。
運動面については来年から取り組んでいこうかと思います。理由は簡単です。トレーニングについてこれないからです。強度と負荷が掛かるため逃げてしまいます。最低でも逃げない頭が必要です。これに取り組むことで自分が成長する、このように自分に矢印を向けるためにはそれなりの知能と経験が必要です。
もう一つはルールについての解釈です。
何かを頑張ることで何かを得られる、というのが定説かもしれません。間違ってはいません。
しかし、何を頑張るのか?これによって結果は大きく変わります。簡単な例を出せば、利権、既得権、これです。ネガティブな言葉に聞こえますがとどのつまりこれが答えです。
多くの人はその利権のようなものの下にあるルールによって生まれる競争で順位を競っています。勝った負けたと言っていますが勝っているのは胴元だけです。
みんなで楽しく遊ぶというのはこれにつながっています。ドッヂボールはこうあるべきだ!ということでそのルールの中で遊んでいる子は利権のようなものの下で努力しています。
子供なのでドッヂボールのルールを多少破っても良いと思います。自分が何をするのか?何が目的なのか?実現する力が必要です。知恵がつけばルールの範囲でそれをやってのけるでしょう。
何かやろうぜ!そして何かが始まる。
そこには自然とルールが発生してプレーが起こる。これが経済活動の基礎です。決して100円のものを買って120円で売ることではありません。
どんなことで良いので胴元になれれば起業はできます。そして、この起業家の姿がサッカー選手と重なっているわけですよ。
ルールの中で人間性や質を求められているのは従業員です。会社に勤めることとサッカー選手になることが同じになってしまってはやる意味がないのではないでしょうか?結局、好きなことを仕事にすることはできませんよ?