例えば、川渡り鬼をやるとしましょう。何回かやるとそんなことは出来る!という子供が出てきます。
この子はやらされている子です。
自らやっている子はこんな発言をしません。なぜなら、毎回違うことをやっているからです。
川渡り鬼という鬼ごっこは同じルールです。しかし、本人がどのようなことを意識してどのように取り組むのか、これは誰にも分かりませんし、自分がそうであるから、他人もそうだ、とは言えません。
今日は鬼と対峙した時の止まり方をトレーニングしよう!そのためには、ハムストリングに意識を向けてスピードを落としたら腰を乗せてっと、というようにやりようによってはプレスに行って対人で対応するようなシーンをトレーニングすることも出来ます。
オフザボールでポジションを取り、または相手の目線を盗んでなどタイミングを見て突破を狙うこともトレーニングできるでしょうし、スペースを見つけてトップスピードで駆け抜けることも出来ます。
このような思考を元に自らトレーニングすることはできます。でも子供には知識がないため出来ません。
だから、遊べば良いのです。楽しく遊んでいれば上てあげようなシーンを想像できるような動作も生まれてきます。
前が空いていたら突破だ!という一点だけに固執すればいろいろなトレーニングにはなりません。
突破する時の足の踏み込みの強弱はどうなるでしょうか?
相手がいなければそんなに強く踏み込まなくても良いかもしれません。でも相手がいたら強く踏み込む必要があるかもしれません。
そうなのであれば、運ぶドリブルと抜くドリブルでは何かが違うのではないか?という気付きのキッカケを得られるかもしれません。
何が違うんだ?この疑問に答えを見つけられる子は上手くなります。
教えても役に立ちません。相手に勝つためには自分に勝たなければなりません。自分に勝てない子が勝てるのは”相手にならない子”。要するにそれは相手ではありません。
何をやるのか?ではなく「誰がやるのか」が重要です。そして、誰とは【自分に勝つことができる自分】です。