努力は無駄にならない!と大人は言いたいですよね。しかし、無駄な努力は確かに存在します。
例えば、体の動かし方が体の構造から見て正しくないのにドリブルというテクニックをトレーニングしても体の動かし方自体が正しくなることはありません。
逆に体の動かし方が正しい人がドリブルをトレーニングするとドリブルを使いこなす状態になります。
ドリブルが上手いのか、ドリブルを使いこなすのか、この差があります。
ドリブルを努力してトレーニングし上手くなったとしましょう。サッカーを辞めた時に、そのドリブルを使うことが出来るでしょうか?頑張れば出来るようになることを学んだ、というのも一理あります。しかし、ドリブルを使いこなす人は他のことも当然使いこなします。
使いこなす人と上手くなる人を比較すると、使いこなす人は新たなことをやる際にそんなに時間を要せず出来るようになります。一方で、上手くなる人は都度時間をかけて忍耐力を持って取り組む必要があります。
どちらが楽でしょうか?
圧倒的に使いこなす人の方が時間的余裕が生まれると思います。
では、努力とはどこに向けるべきでしょう?
これは、使いこなす人になるために努力するべきです。何か上手くなるために努力する人は無限に時間が必要になります。使いこなす人は別に時間は必要ありませんので自由です。
子供達は上手くなる必要はありません。でも使いこなす必要はあります。
誰が使いこなすのか?それは人です。主体的な行動を育ててあげることにつきます。