諸説あるのでなんとも言えませんが、量子力学には二重スリット実験というものがあります。二つのスリットがある板へ粒子を飛ばす実験です。当然、スリットの間を抜けてその奥にある板にぶつかると予想します。しかし、実際にはそうなっていません。
粒子はスリットがないところへもぶつかっています。
これはとても不思議な現象です。それではスリットを通過する瞬間を観察することにしましょう。そうするとどうでしょう。スリットの間を抜けた先にしかぶつからなくなりました。とても不思議ですね。
観測者を置いた時点で粒子は粒子として振舞います。これは粒という物体です。しかし、観測者が置かれていない場合、粒子は波動として振舞います。これは波です。だから、スリットが空いていない板の裏側にもぶつかっていたのです。
人間も似ています。過保護や大人の目が厳しい場合、子供は良いことして振舞います。これは粒子です。しかし、大人の目が届かないところではいじめをしていたり、良い子とはかけ離れた振る舞いをしたりします。
何かを習得する時も同じです。「こうするんだ」というような大人の目があり取り組むトレーニングは粒子となります。しかし、そのような目がないトレーニングは波動です。それしかできないのか?それとも他のものも獲得しているのか?このような差として現れます。
粒子でない以上、それだけが際立つことがありません。そのため、成長していないような気になってしまいます。しかし、確実に波動は到達しています。
午前中は自由に主体的に遊びます。これは波動の活動です。多くのことを体験します。
そして午後は、私が観察者になり粒子を作ります。ボールをどのように蹴るのか?止めるのか?作用点をどのように作り、どのように管理するのか?波動として獲得したものを粒子に変えて一気に成長させます。
午前午後の活動はこのような活動です。